日常生活で「分かる」と思うのはどういう時でしょうか。たとえば、名前をつける。そうすれば、わかった気持ちにはなれます。でも、名前がわかっても、その人物のことが真に理解できたわけではありません。もう少し科学的な「分かる」とは「分解」することです。小さい子供が腕時計を分解して、内部の構造を眺めて、こうなったのか、と思うのと同様に、人は、これで分かったと思います。脳はそう設計されていますが、分解しても、実はわかったことにはならないことも多いのです。