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「福沢諭吉の真実」の迫力 伊藤之雄(いとうゆきお 京都大学教授)
 福沢諭吉という書き尽くされた感のある大物思想家を描きながら、本書は、新鮮で推理小説を読むような謎解きのスリルも味わえる力作である。福沢諭吉に関しては、近年に至るまで膨大な著作があるにもかかわらず、市民的自由主義者とする見方と、侵略的絶対主義者とする二つの評価に分かれている。この大きな原因が、現行版『福沢諭吉全集』二一巻(岩波書店)の元になっている大正版一〇巻と昭和版『続福沢全集』七巻が、石河幹明によって恣意的に編集され、石河の弟子であった富田正文によって編集された現行版も、その問題を継承しているからであると、著者は言う。その問題とは、全集の中に、福沢の経営した新聞「時事新報」の論説中、福沢が執筆も立案もしていないものまで、多数混在させていることである。
 平山氏は、比較文学者の井田進也氏によって確立された、語彙データや特徴的文体や言い回しに基づいて、執筆者を鑑定する方法を応用して、福沢の真筆を選り分けた。その上で、福沢を市民的自由主義者とする見方を、鮮やかに確認した。
 結論は、(一)福沢は日本国民として君主である天皇を尊重する精神があったが、それは国民の心情という以上のものではなく、天皇が直接政治に関係することはかえってその権威をおとしめるようになるとの危惧を抱いたように、天皇への強い賛美者ではなかった、(二)国際関係を経済的側面から考え、産業育成と経済交流が立国の中心とみて、面としての領土を拡大する意味はほとんどないと考えた、(三)中国人や朝鮮人に対する民族的偏見があまりなく、文明化という同じ競争に参加させられていることを理解せず、文明化に努力しない諸国家の政府や支配層を批判するだけであった、ことである。
 平山氏は、福沢に侵略的な絶対主義者像を与えた主役を、石河幹明とみる。彼は水戸藩士の子として一八五九年に生まれ、茨城中学を経て、一八八五年に時事新報社に入社し、一九二二年に主筆の座を降りるまで、「時事新報」の編集や論説作成に従事した。石河が福沢の詳細な伝記である『福沢諭吉伝』(一九三二年)の作者であり、大正版『福沢全集』と昭和版『続福沢全集』の編者であったことは、福沢研究者の間にはよく知られている。
 石河は福沢の死後二五年以上経って全集や伝記を出版し、福沢の後継者としてふるまったが、それは福沢の理想ではなかった。「時事新報」の主筆は、社長も兼ねていた中上川彦次郎が一八八七年四月に山陽鉄道に転じた後、一二年間空席となっていた。福沢が最も期待していた高橋義雄も、八七年七月に時事新報社を退社し、後に三井銀行などの重役となる。次いで期待された渡辺治は、八八年に福沢との関係が悪化して翌年退社、また、別のお気に入りだった菊池武徳も、九四年に退社して、後に政友会の代議士となった。
 福沢は五八歳となった一八九一年頃から体力が衰えた。九八年、福沢が脳卒中に倒れ、翌九九年に以前から主に論説を担当していた石河が念願の主筆に就任した。朝野新聞などを経て九四年に入社し、福沢がかつての高橋以上に評価していた北川礼弼もこの頃退社し、社内に石河を脅かす者は誰もいなくなった。石河以外に主筆となるべき人材を求め育成しようとしたが果たせなかった福沢の悲哀を浮彫りにしたことも、本書の興味深い点の一つである。このことを、石河の福沢伝は意図的に隠蔽し、その影響を受けた従来の伝記も本格的にとりあげなかった。
 福沢が石河を評価しなかったのは、文章力のなさもさることながら、天皇への崇敬心が甚だしく深く、国際関係を露骨な帝国主義的勢力圏としてとらえ、中国人・朝鮮人に対する民族的偏見が非常に強いという思想上の理由からである。では、福沢はなぜ石河を切らず、論説を任せたのだろうか。平山氏は、福沢があまりできのよくない次男捨次郎を「時事新報」の社長にするために、編集の実権を握り記者を掌握していた石河を残さざるをえなかったためとしている。
 私はその面も否定しないが、石河が日清戦争前から第一次世界大戦前後に「時事新報」の編集の中枢にあって論説を担当し、社の経営を発展させたという本書の指摘から、東アジアが帝国主義の時代を迎え、世論が『学問ノスヽメ』や『文明論之概略』をもてはやした頃と大きく変わってしまったからと考える。「時事新報」を破産させることは、老境に入った福沢にとって自らの人生の存在意義にすら関わる問題である。将来に世論の状況が好転した時のために、不快さに耐えても社を存続させておこうと、福沢は考えたのではないか。
 また、福沢が常に理想と現実との緊張の中で思索し発言する思想家であったことを考慮すると、病で倒れなかったら、一九〇〇年の義和団の乱以降の東アジア情勢をどのように論じたかは興味の残る所である。列強、とりわけロシアの中国での勢力圏拡大に対し、日本も防衛上、韓国を勢力圏とする協商をロシアと結ぶ必要がある等と論じても、当時の国際慣行に照らして非道徳的な考えとはいえない。
 いずれにしても、石河は福沢の真筆でない自らの論説や自らの考えに近い他の記者の論説を全集に挿入し、それらをも根拠とし、また『福翁自伝』を曲解して、石河の考えに近づけた福沢像を伝記として完成させた。そのことは、満州事変後の時勢に適い、「福沢ルネサンス」ともいうべき福沢ブームを呼び起こした。
 本書を読んで、私には石河のこの行動は、福沢の正統な後継者として自らを権威付けるのみならず、青壮年期に福沢に十分認められなかった石河の福沢に対する密かな復讐のようにも思えた。この石河の策略に対し、彼の手になる『全集』や『伝記』に不安を感じつつも、富田正文・丸山真男・遠山茂樹らはそれぞれの立場上の理由で、本格的な検討を加えなかったと、平山氏は推定した。また最後に、「現行版『福沢諭吉全集』の「時事新報論集」をこのまま放置しておくことは許されぬことであろう」と本書を結んだ。これは、きわめて重い提言である。
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