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私はこう読んだ

渦の外にいるような不思議な静けさ 栗田有起(くりたゆき 作家)
 なんて魅力的なタイトルだろう、と思いながら読みすすめると、その洗練された雰囲気を思わせる表現とはうらはらに、なんとも情けない男が登場して、読みおえるころには、切ないというか、気恥ずかしいというか、なんともいえない複雑な感情に見舞われていることに気づく。
 この表題作の「夜を着る」だけでなく、ほかの七篇の短編でも、読んでいる最中、微妙に入り組んだ情感の複雑さに揺さぶられ、思わず立ちすくんでしまう感覚にしばしばおそわれた。
 二度目の堕胎を経験した若い恋人たちを描く「アナーキー」。
 女子高校生が、はじめて降りた駅の、見知らぬ町で学校をさぼる「映画的な子供」。
 加齢を意識しはじめた女性が夫婦の岐路(きろ)に立たされ、短い旅に出る「ヒッチハイク」。
 年若い愛人との恋愛に身をやつした男が殺人事件のあった現場へ足を向ける「終電は一時七分」。
 詩人だった父が亡くなり、彼の女性スキャンダルにふさぐ母と娘が訪れた島での道中を描く「I島の思い出」。
 二組の恋人たちが大学の卒業旅行で向かったパリで一組の夫婦と出会う「三日前の死」。
 父の葬式に現れた、彼のかつての愛人と幼かった姉妹の思い出をめぐる「よそのひとの夏」。
 登場人物はみな、のっぴきならない状況、あるいは心情の渦中にいるのだが、当事者であるはずの彼らには、まるで渦の外にいるような、その事件から置いてきぼりをくわされてでもいるかのような、不思議な静けさがある。
 彼らの態度には、たしかに痛みをおぼえているのに、その痛みにおぼれることができず、どこかその感覚を疑うような正直さ、まっとうさ、滑稽さを感じてしまう。だからなのか、読みながら、はからずも揺さぶられる不安定な足元を楽しむことができる。
 作中のところどころで、不穏な、うしろ暗い緊張に張りつめたトーンがくるりと裏返る瞬間が訪れるのだが、このときの爽快感を味わえるのも、ひとえに彼らがたたえる静けさによるものだと思う。
 この静けさは、ある種の虚無感といっていいのかもしれない。
 作者の小説にどうしようもなく惹かれるのは、私自身も虚無感にとらわれた人間だからなのだろう。そして、虚無にとらわれるからこそ何もしないではいられず、人とかかわることをどうしても求めてしまう人間ばかりが描かれているからだろう。
 個人的にとくに好きなのは、「映画的な子供」だ。
 主人公の女の子のスカートにまつわる場面の色っぽさにはまいった。
〈最初の乗り換え駅につき、立ち上がったとき、男の人がすっと近づいてきた。「スカートの裾、ほつれてるよ」毎朝同じ車両に乗っている、四十歳くらいのサラリーマンふうの人だった。「あ」としか咄嗟(とっさ)に反応できないしぐれの耳元で「女の子だからね」と囁いて先に歩いていった。〉
 ほつれたことを知らせる男性の羞恥心もいいし、知らされた彼女が動転してしまう素直さもいい。この小さな事件が、彼女を見知らぬ町で彷徨(ほうこう)させるきっかけとなるのだが、なんでもないようでいて、思春期の彼女が常日頃のみこまれそうになっている感情の起伏のあやうさが見事に表わされていると思う。
 自分と、そうでないものとの距離の取り方がいまいちつかめない不安と、不安を感じながらも、自分がそれを突き抜ける一歩手前にいるであろうことを予感している興奮。
 はらはらしながら彼女を見守るうち、いつのまにか彼女の内奥のはげしいエネルギーにこちら側が感化されていることに気づく。じつにエロティックな読書経験だった。
 作者の小説から受ける虚無感の底にあるのは、もしかしたら時が流れてゆくことの心もとなさなのかもしれない。
「よそのひとの夏」で、〈私は、自分たちが一枚の写真の中に閉じ込められたような気がした。〉という一文が出てくる。
 彼女の小説を読んでいるときに感じる静けさは、この文章で表わされる情景に通じるようにも思われる。
 一枚の写真には、ひとところに留めておけない時間や景色、人間関係といったものが一瞬にして閉じ込められている。この一瞬は、はかないだけに、狂おしい。写真はそれらの象徴のようだ。
 いずれの短編も、時間の流れてゆく先の暗さ、わからなさにあてどなく流されてゆく人々の、ひとときをつかまえようとする切実な一瞬が描かれている。そして読むものは、彼らの、一瞬をたぐりよせようとする指先の美しさにはっと目を覚まさせられる。そんな作品集である。
本の話最新号目次
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