わたしは、基本的に生意気な少年が好きだ。それはもう、掛け値なしに好きだ。傲慢、不遜、唯我独尊、孤高、己のみを信じ、他者を拒む。馴れ合いと紙一重の安易な繋がりを選ぶぐらいなら、たった独りで生きていく。そういう、生意気な少年が好きだし、書いてもきたし、書き続けたいとも望んでいる(まったくの蛇足ですが、これは少年だから惹かれるのであって、某国の大統領や某国の首相みたいに、いい歳をしたおじさんたちの傲慢さにはうんざりです)。
だから、まあ、少年の生意気さに関してはかなり、かなり寛容な人間のつもりだ。そのわたしが、本書を読んで思わず「どっひゃあ」と声をあげてしまった。
ちょっとまってよ、あんた。それって、あんまりにも生意気すぎじゃないの。だめだよ、直さなきゃ。などと主人公の少年を諭したくてたまらなくなった。途中でおろおろし、狼狽のあまり本を閉じたくなった。実際閉じてはみたものの続きがどうにも気になって、落ち着かず、読まずにはいられなくて、いつもより慎重に、ゆっくりと読み進めていたページを開いたりした(なぜ、慎重にゆっくりとなのかは謎です。自分でも理由がわかりません。ただ、丁重に扱わないと爆発するような気がしたのです。生々しく感じてしまいました。そう、これはとても危険な本です。読み終えてつくづく思います。あまりに刺激的で尖鋭すぎて、心臓に悪いのに、できれば閉じておきたいのに、それを許してくれないのですから)。
岡崎優(ゆう)。走るために生まれた天才ランナー。生意気さは半端じゃない。孤高を貫くことも、決して馴れ合わないことも半端じゃない。というか、ものすごい。やるか、ここまでと、唸ってしまった。一度ではない。二度も三度もだ。
「そういうの、僕にはしないでいいから」真っ直ぐ小松を見つめた。「指導者って、実力のない選手に、夢を見させるような話をよくするよね。ま、僕にはその手の話、必要ないから。大丈夫だとか、君ならできるとか、そういう言葉、まったくいらないんだよね。タイムを縮めるために必要なことだけ、アドバイスして」
大学陸上部のコーチがフォームを壊した選手のことを「人間って凄いことをやっちゃう生き物なんだぞ。俺は何度も見てきた。奇跡の復活っていうのをさ。だから俺は信じてる。宮尾君は必ず復活するって」と言うのに対し、優の放った一言だ。まったくもって、生意気の極致、寛容なわたしでさえ唖然としたのだから、周りの人間は堪ったものじゃないだろう。
その性格、なおせよ、おまえ。でなきゃぶっとばすぞ。
などと、ついこぶしを握ってしまった場面だ。そういう箇所が幾つも幾つも出てくる。岡崎優という少年は、だから決してすばらしい人間ではない。良い子でもないし、爽やかでもないし、熱くもない。むしろ対極にある。しかし、読み終えて、ずいぶんと魅力的な少年に出会えたのだなと、濃い満足感が胸を浸した。このうえなく魅力的な一人の少年を今、知ることができたのだと。
優は苦悩する。自分は走るために生まれてきた。絶対に揺るがぬはずだった自分の基が崩落する予感に苦悩する。「何のために走るか」に悩むのではなく、文字どおり「走るためだけに」生まれてきた……いや、創られてしまった自分自身の存在に暗(く)れ惑う。
僕はなぜここにこうして存在しているのか。
この本、「Run! Run! Run!」は、タイトルの軽やかさやカバー写真の鮮やかさから連想される爽快なスポーツ小説ではない。青春小説でもない。これは、人間の誕生と生存と存在に分け入ろうとした挑戦的で思弁的な一冊なのだ。作者は決して答えを押し付けない。人間とはこういうものだと、決して語らない。優れた物語とはいつも寡黙で内省的で読み手に思索を促す。考えろと。
ところどころに独白を挿む文体は、優の走りそのもののように軽快で乱れることもないのに、展開される世界は深く底も果ても無く見えない。少なくともわたしには、確かな答えは掴めなかった。
人間って結局、どういう生き物なの?
たぶんこれから先、ことあるごとにこの質問にぶつかるのだろう。問うているのは、自分なのか優なのか、戸惑いもするけれど、答えるのは自分しかいない。それだけは、事実だ。
精神に変調をきたした母を見舞っての帰り、六年ぶりに優の前に現れた父親は言う。
「息子への愛情はほかの親と変わらない。自分にとって都合がいいからじゃない」
父を許せる日が来るだろうか――。
最後に優は心の内でそう呟いた。人は人をどこまで許せるのか。人はどういう生き物なのか。なんのために生まれ、存在するのか。
本を閉じたときから、優とともに人間を知っていくためのレースが始まる。わたしたちは、今、スタートラインに並んだのだ。 |