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私はこう読んだ

氷結された感情 野中柊(作家)
 とてもストレートなタイトルだと思う。
 このタイトルの通り、主人公の男の子は誰かに――愛する女の子に〈指輪をはめたい〉と望んでいる。その指輪は他でもない、婚約指輪だ。ただモンダイなのは、既に指輪を用意しているにもかかわらず、それを誰の指にはめたいのか、わからないということ。彼には三人のガールフレンドがいて、そのうちの、どの女の子に指輪をはめたいのか、自分でもわからずにいるのだ。
 いや、わかっていたはずだった。
 いろいろと迷った挙げ句、ひとりぼっちでアイススケートをしながら、結婚したいのはこの女の子だと心に決めたはずだった。それなのに――
 いささか間抜けなことに、彼はスケートリンクで、すってんころりん! 転んで頭を打ち、記憶喪失になってしまうのである。とはいえ、日常生活に支障をきたすほどの記憶喪失ではない。彼が思い出したくても、どうしても思い出せず、困惑しているのは、なぜひとりでスケートリンクにいたのか、誰に指輪を渡すつもりでいたのか、ということのみ。ほんの二、三時間の記憶が失われただけで、彼は未来を失ったのと等しい状態になってしまう。
 そんなふうにして、この小説は始まる。スケートリンクを出て、彼はこれまで通りの日常を、現在を生きていく。ただし、スケートリンク以前、スケートリンク以後が明らかに違うのは、彼に生きるうえでの目的が新たに出来たということだろう。
 彼は失われた記憶を取り戻さなければならない。そして、未来を予定通り手中におさめなければならない。そのために、ガールフレンドひとりひとりに会いに出かけ、自分の気持ちをあらためて検証していく。それぞれまったく違うタイプの女の子たちである。容姿も性格も考え方も価値観もライフスタイルもデートの仕方も。
 彼はどの女の子が一番好きなのだろう。どの女の子と生活を共にしたいと思っているのだろう。どの女の子を選べば後悔せずにいられるのだろう。どの女の子も魅力的で、と同時に面倒くさい側面もあって、迷い始めるときりがない。
 しかしながら、ゆっくりと考えている時間はない。彼はある理由から――その理由はあえてここには書かないが――三十歳になる前に結婚しなければならず、そのタイムリミットはすぐ間近に迫っているからだ。
 私たち読者は、彼と一緒に、どの女の子が指輪をするにふさわしいのか考えさせられる。謎解きをするみたいにして、小説を読み進めることになる――まるで探偵小説を読んでいるかのように。犯人は誰だ? 次第にそんな気持ちにすらなってくる。私たちが見つけなければならないのは〈犯人〉などではなく、彼の生涯の伴侶となるべき永遠の恋人のはずなのに。でも……
 でも、もしかしたら本当に、彼が探しているのは、妻にしたい女性というよりは〈犯人〉なのかもしれないとも思う。彼は過去のある時点で決定的に傷つけられていて、その傷は簡単に癒されるものではない。一生癒されない類のものなのかもしれない。とはいえ、彼は自分を傷つけた者に対する怒りと愛惜の情を凍結させて、ごく普通に淡々と生活してきた。これから先も、そのようにして生きていけるはずだった。
 それなのに、彼は氷の上で足元をすくわれて転んでしまう。頭を打って記憶を失ったことにより、脳はその空白を埋めるため物語を捏造(ねつぞう)し始める。
 では、そもそも彼をスケートリンクに導いたのは誰? 彼の記憶を盗んだのは誰? 彼から未来を奪ったのは誰? そして、彼を冷たい氷の上にひとりぼっちで置き去りにしたのは誰?
 その〈犯人〉を何とかして見つけだそうと、私たちは彼と共に時間の迷路の中をさまようことになる。とりあえずは、指輪だけを手がかりにして。
 犯人は誰?
 実は指輪は大した手がかりにはならない。三人のガールフレンドは指輪のサイズが同じだからだ。王子様がガラスの靴の片っぽを持って、シンデレラを探し出したようなわけにはいかない。とはいえ、謎解きのヒントは作品の随所に散りばめられている。たとえば、フリーザーに入れて凍らせた柿、クローゼットの中に忘れられたマフラー、エミという名の少女、ジーンズのヒップに書かれたナンバー、指輪の入っている黒いビロードのケースの匂い、おそらく記憶のどこかに存在するのであろう爪の伸びた猫、その猫がフローリングの上を歩くコツコツという軽快な音……
 日常のささやかな物事が、ふとした弾みで、封印された過去を開く。無意識を開く。彼は開かれた無意識を意識のレベルで制御するのか。それとも、小手先の制御はあえてせずに、更に無意識を開いていくのか。
 無意識の世界では、時系列は意味をなさない。過去、現在、未来はシャフルされる。過去と未来が逆転し、現在は何度も、何度も、何度も巻き戻され、反復する。
 彼は先へ進めなくなる。どこへも行けなくなる。足元から徐々に、徐々に凍(こご)えてゆき、氷の中に閉じこめられる。いや、おそらく、もうずっと前から彼は氷の中に閉じこめられていたのだ。
 エンディング近く、彼はついにある女の子に指輪を渡すことになるのだが、そのことによって彼は救われるのだろうか。
 yes or no?
 答は読者ひとりひとりによって違うのかもしれない。でも、とにかく――
 誰かが温かな優しい手で、彼の凍えた胸に触れて、氷の中に閉ざされてしまった、さまざまな感情を溶かし出してあげればいいのに。そんな気持ちにさせられる。
 その左手の、薬指にこそ、指輪はふさわしいのではないかしら?
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