「質問によって走らせる」本づくり

梅田さんは、「問う人」だ。
通常、著者は今回の本で何を表現したいかを熱く主張する。
私たち編集サイドは聞き役に回ることが多い。ところが、梅田さんは違った。ディスカッション中、頻繁に質問をする。
「あなたは実名を出してそれを書ける?」「その抵抗感はどうすればなくせるんだろう?」「なぜそこに違和感を覚えるのだろうか?」という具合に……。
しかも、それに対するこちらの答えを否定しない。著者なのだから、意にそぐわない点は否定して、自分はこういう本にしたいのだと喝破してくれていいのだ。が、終始笑みを浮かべながら聞き、対話し、そして問う、また問う……。
そのうち、ふと気がついた。梅田さんが答えを欲しているのではないことに。問われて答えるということは、その事柄をどのように理解し、咀嚼しているかを言語化することだ。答えることで、理解やそれに基づく発想に潜んでいる矛盾や問題点に自ずと気づかされる。その自発的な気づきを促したいがために、梅田さんは問いを発しているのだ、と。

「私たちは会社を答えによってではなく、質問によって走らせている」
――エリック・シュミット

本づくりそのものも、梅田さんは質問で走らせようとしていた。問うことで相手に気づかせる――これは梅田さんが実践する「大人の流儀」の一つである。優しい薬の飲ませ方だ。が、ときにそれは、ガツンと既成概念をぶち壊されるように効いた。
足かけ二年にわたり、そうやって「梅田望夫をいまの梅田望夫たらんとしたものは何か」というパズルのピースを、一つひとつはめ込む作業が重ねられた。
梅田さんは、会えば会うほどに「清々しさ」を感じる人だった。ノンフィクションの書籍であまたの著者と仕事をさせていただいているが、人間、齢を重ねれば人格もそなわるがそれなりのアクも出る。四十代半ばを過ぎて、生きる姿勢に清涼感を漂わせている人は稀有だ。偉ぶらない、建て前でものを言わない、陽気といった資質もあるのだろうが、この清々しさはどこからきているのだろう、とずっと考えていた。
いまはこう思っている。それは自分が信じた生き方を貫いているがゆえの潔さなのではないか、と。
自分の「美学」を貫いて生きる――どこにいて、何もしていても、精神の拠り所を自分の美学に置いていれば、人は何歳になっても清々しく生きられる。そんなことを深く教えられた気がしている。
(編集ライター・阿部久美子)
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