●第8位
第8位は、アップル製品のデザインの総責任者、ジョナサン・アイヴの言葉です。

おそらく決定的な要因は、「当たり前」を超えて
「狂信的に注意を払うこと」だ。
細部に「取り憑かれたような関心を持つこと」だ。
ケーブルやパワーアダプターといった普通は見過ごされることの多いものにも、
とことん気を配ることだ。──ジョナサン・アイヴ
Perhaps the decisive factor is fanatical care beyond the obvious stuff: the obsessive attention to details that are often overlooked, like cables and power adaptors.──Jonathan Ive

これは第3定理の「技術者の眼」で取り上げた言葉ですが、ジョナサン・アイヴはiPodやiphoneなど、とてもセクシーデザインな製品を、ジョブズの右腕として生み出してきた人物です。
ここで使われている、fanatical とかobsessive という言葉はお行儀のいいビジネスの世界では通常使われない言葉です。たとえば企画書を出して社長の印鑑をもらって、さほどプロダクトに情熱のない人たちに説明をしては物事を進めていくのとは、まったく対極にある会社の走らせ方です。
僕は鰍ヘてなの社外取締役をやっていますが、これは彼らに贈りたいナンバーワンの言葉でもある。すばらしい製品をつくって多くの人に届けたい、その開発の心構えとして「狂信的な注意」「取り憑かれたような関心」は絶対に欠かせません。
目の前のことに丁寧に注意を注いで、真摯に向き合っていく――こういう姿勢で、生活のなかで、学校でも職場でも、一日一日を丁寧に生きていくことが人生を切り開くことにつながると僕は考えています。
さて、第7位の言葉は、本書の一番最後を締めくくった言葉です。
●第7位
自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。── ビル・ジョイ
I try to work on things that won't happen unless I do them.──Bill Joy

ビル・ジョイはJAVAやサンのワークステーションなどを開発した天才技術者です。コンピューターサイエンスの世界を大きく変えるような発明を数多くしてきた人ですが、これは一部の天才だけに許された言葉なのではなく、普遍性があると思います。
この言葉は必ずしも大きな成功をするという前提でしか発せないものではなくて、こういう心構えで現代を生きることがとても大切だと思います。
今日は客席の半分くらい若い人が集まってくださっていますが、現代のグローバル競争の中では、あらゆる場面で急速にコモディティ化(均一化)が進んでいます。個人がエンパワーされているから可能性はたしかに広がっている。だがそれは同時に世界の誰に対しても同じ可能性が広がっていることでもある。
若い世代にとって自分の仕事やスキルがコモディティ化する危険は、上の世代に比べて格段に高くなっているでしょう。そういうときに最後の拠り所となるのは自分の固有性に他なりません。
自分の志向性や、家族や友人や自分を取り巻くコミュニティの構成員といった、つながりの中から生まれてきた固有性をも大切にして、そこから価値を生み出していく。この価値を基礎において疾走すると、確実にサバイバルの確率が高くなると思います。
そういう固有性の中から、より普遍的なものが生まれて、より多くの人に受け入れられるような大きな成功につながっていけば、より素晴らしい。
自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる――これは、人生のさまざまな局面で自分のそばにおいておきたい言葉だと思います。読者の感想の中でも、とりわけ人気の高い言葉ですね。
次の第6位は、あまりこの言葉に反応した人はいないかもしれません。
●第6位
カウンターカルチャーは中央集権化された権力に軽蔑心を示し、
まさにそれが、リーダー不在のインターネットの世界だけでなく、
PC革命に対しても哲学的基盤を与えた。── スチュアート・ブランド
The counterculture's scorn for centralized authority provided the philosophical foundations of not only the leaderless Internet but also the entire personal-computer revolution.──Stewart Brand

スチュアート・ブランドというカウンターカルチャーの思想家の言葉です。「Information wants to be free.」という言葉でも有名です。
60年代末はベトナム戦争の時代で、西海岸、とくにサンフランシスコあたりはヒッピーの文化があって反戦運動もとても強かった。その頃のことを振りかえって、アンチ・エスタブリッシュメント、アンチ・中央といった60年代に自分たちのやってきたことのすべてはPC革命、インターネット革命のなかに全部流れ込んだと言っているのです。
僕はシリコンバレーに住んで15年以上になりますが、ああここはこういう地なのだとすごく腑におちる言葉です。
というのも、もともとコンピュータというものは東海岸で軍事目的で開発されたもので、そのあと政府や大企業の道具となった。東海岸では、一人ひとりがコンピューターを使う必要というものを誰も想像しなかった。コンピュータなんて世界に5台あれば十分だと言われた時代もあったのです。
でも、半導体が開発され小型化が可能になったとき、すべての人が新しいツールによってエンパワーされるべきだという思想が西海岸から出てきた。その中からアップルも出てきた。
スチュアート・ブランドはスティーブ・ジョブズの十代の頃のあこがれの人でした。ジョブズは感化された第一世代ともいえ、そのカウンターカルチャーを背負ってPCを開発していったのです。
日本の企業も80年代にPCをつくるようになりましたが、そういう思想がないまま小さく作れて面白いからと始めた。だから90年代半ばにPCがコモディティ化して儲からなくなってくると、まあやめとくかとなる。
PCに対するとらえ方、背景としてのカルチャーの違いを伝える非常に興味深い言葉だと思います。
第5位はずばり、この言葉です。
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