立ち読み

『日本会議の研究』 菅野 完(扶桑社刊)

はじめに


 安倍政権の暴走が止まらない。

 2012年に第二次安倍政権が発足して以降、特定秘密保護法の採択、集団的自衛権に関する閣議決定、そしていわゆる「安保法制」の強行採決と、傍若無人な政権運営はとどまるところを知らない。

 閣僚や自民党議員たちの奔放な言動も目立つ。首相の靖国参拝に対し「失望した」とコメントを発表した米国に対し、「むしろ我々が失望だ」と発言した衛藤晟一。改憲にあたっては「ナチスのやり方を真似てはどうか」と発言した麻生太郎。「沖縄の2紙を潰してやりたい」との発言で怪気炎をあげた「文化芸術懇話会」に参加した自民党議員たち。「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条にもとづいて電波停止を命じる可能性もある」と発言した高市早苗など、その事例は枚挙にいとまがない。

 反動と呼ぶにはあまりにも幼稚過ぎる、こうした無軌道な発言が目立つのは、安倍政権周辺だけにとどまらない。

 全国各地の路上では、「朝鮮人を殺せ」「韓国人出ていけ」と叫ぶデモや集会がいまだに繰り広げられている。さらには「ヘイト本」の出版ブームもまた持続中だ。どの書店でも、嫌韓や排外主義を煽る書籍が平積みされ続けている。一般書店の月刊誌コーナーで平積みされるのは、『正論』『WiLL』などの「保守論壇月刊誌」ばかり。岩波書店の『世界』はもとより、『中央公論』さらには『文藝春秋』までもが、隅に追いやられている。

 これらの事象を見て、人は、「日本は右傾化した」という。

 しかし、果たしてそうか?

 安保法制の強行採決により、安倍政権の無軌道な政権運営がピークを迎えた2015年夏。SEALDsに代表される強固な反対意見のうねりを、我々は確かに目撃した。国会前に集まった数万の人々は、口々に、安保法制反対を叫び、安倍政権の退陣を訴えた。

 沖縄・広島・長崎の慰霊祭に出席する安倍首相に対しては、遺族や列席者から、彼の姿勢を批判するヤジが飛んだ。三大慰霊祭の全てで首相を糾弾するヤジが飛ぶのは前代未聞の出来事だ。

 政界から路上に目を転じると、いまだに繰り返される人権意識のかけらもないヘイトスピーチデモに対抗すべく立ち上がる、いわゆる「カウンター」の人々が全国各地に存在する。ヘイト本・嫌韓本が出版されるたび版元や書店に抗議する市民も確かに存在する。「日本は右傾化した」という総括は、こうした人々の存在を無視するものではないのか?


 少しデータを見てみよう。


 本書執筆時点で直近の衆議院選挙である第47回衆議院総選挙(2014年12月14日施行)では、確かに、自民・公明の連立与党が、議席配分としては圧倒的な勝利を収めた。しかし、得票率を見ると自公連立政権=49.54%野党・無所属合計=50.46%と、わずかとはいえ、野党の得票率が上回っている。

 ロングスパンで見た世論調査の解析結果はさらに興味深い傾向を示している。

 2003年から2014年までの長期間にわたり、政治家と有権者双方に対して実施された大規模世論調査を分析した谷口将紀は、有権者の好む政策争点はここ10年左右にぶれることなくほぼ不変であるにもかかわらず、政治家、とりわけ自由民主党の政治家たちだけが右側に寄り続けているという解析結果にもとづき、「たとえ過去10年間で日本政治が保守化したとしても、それは政治家の右傾化であって、有権者の政策位置が右に寄ったのではない」と指摘している(谷口 2015)。

 これらの数字や分析を踏まえると、やはり、「日本の社会全体が、右傾化している」とは言い難い。

 社会全体として右傾化したとは言い難いにもかかわらず、政権担当者周辺と路上の跳ねっ返りどもだけが、急速に右傾化している……。これはなんとも不思議だ。


 少々、私事を挟む。


 私が「変な奴らが世の中で暴れ出してるぞ?」と思い始めたのは、2008年頃のこと。当時、西村修平(主権回復を目指す会代表)、桜井誠(在日特権を許さない市民の会=在特会元会長)・瀬戸弘幸らはすでに、東村山市議会議員だった朝木明代が西武東村山駅付近のビルから転落死した事件に関し、街宣活動に擬態したイヤガラセ行為を現場付近で行い、声高に創価学会と本件事件が関連しているなどとがなり立てたり、付近の商店に乱入したりするなどの様子を、ネット上で嬉々として公開するようになっていた。

 こうした連中は、その後、外国人排斥に運動の重心を移していく。不法入国のかどで強制退去を命じられたカルデロンさん一家に対する抗議デモを皮切りに、彼らの運動は激しさというよりも、醜悪さを増していった。その前後あたりから、私は、彼らのデモや抗議活動の現場に潜入し、写真を撮ったり音声を録音したりするようになった。彼らの主張も運動手法も、私にとって到底許せないものだったからだ。当時はまだ、いわゆる「カウンター」と呼ばれる人々は極めて少数であり、私のような活動をしている人物は極めて少なかった。それに当時の私は、一介のサラリーマンにすぎなかった。今から思えば手ぬるい限りだが、多勢に無勢でもあり、やれることは限られていた。

 彼らの運動の実態を見ているうちに、運動参加者の顔と名前を覚えるようになる。さらには、彼らが交わす会話を耳にするうちに、彼らが何を読み、何を情報ソースにし、何をどう認識しているかも、だいたいわかるようになってきた。

「ネトウヨ」(ネットウヨク)という言葉通り、確かに彼らは、ネットを情報ソースにしている場合が多い。「2ちゃんねる」をはじめとするネットの言説に感化され、ネットでの呼びかけに応じて、デモや集会に参加する。だが、その大元のネットの書き込みをつぶさに見ていくと、個々人の勝手な妄想や思いつきから書かれた物もあるものの、大半は、「出典」が添えられている。そして、そうした「出典」はほとんどの場合、『正論』『WiLL』『歴史通』といった、「保守論壇誌」だ。

 この点に気づいた私は、保守論壇誌を手当たり次第に読み込むようになった。当時はサラリーマンだったため通勤時間はある。その時間を保守論壇誌の読み込みに費やし続けた。

 そのうち、奇妙なことに気づく。こうした保守論壇誌に登場する面々には「脈絡」がないのだ。月刊誌や総合誌と呼ばれるジャンルに登場する人々は、何らかの学術的業績を挙げた人であったり、特定のジャンルでの研究・調査で実績のあるジャーナリストであったり、あるいは世間の耳目を集めた事件・事故の当事者であったりと、「なぜ、その人がその記事を書くか」の「脈絡」が存在する。しかし、保守論壇誌にはそれがない。相撲解説者の舞の海秀平がなぜ憲法を語るのか、教育学者の高橋史朗がなぜGHQの占領政策の過誤について論じているのか、冷静に考えてみると、脈絡が一切ないのだ。

 さらに、もう一つ奇妙なことがある。

 私が保守論壇誌の読み込みを始めた2008年頃といえば、第一次安倍政権の崩壊直後に重なる。体調問題からとはいえ、代表演説直後の辞任という前代未聞の大失態を演じた安倍晋三の政治生命は、完全に絶たれたように思われた。事実、当時の世論調査でも7割に上る有権者が「安倍の突然の辞任は無責任だ」と答えている。

 にもかかわらず、保守論壇誌には安倍晋三が登場し続ける。有権者から無責任と烙印を押され、安倍晋三自身も鳴りを潜めて表立った動きを示していなかった時期にも、なぜか、保守論壇の「識者」たちは、安倍晋三の名前に言及し続けた。さらには、極めて早い時期から、安倍晋三の再登板を熱望するかのような記事が並ぶようになる。

 これは奇妙なことではないか?

 路上で繰り広げられる醜悪なヘイトデモ参加者たちの一次的な情報源も保守論壇雑誌ならば、退陣し政治生命が終焉した安倍晋三を熱烈に応援し続けるのも保守論壇誌だ。その傾向は、安倍晋三が再び総理として返り咲いた後、さらに顕著になっていく。「たまたま、偶然、そうなっただけだ」「同じような性向を持った人なのだから、同じような雑誌に集まるのは自然なことだ」と切って捨てていいとは到底思えない。確かにそうした判断も成立しうる。ただ、ここまで同じメンバーが同じネタを用いて同じノリで盛り上がり続けられるのは、傍目には異常だ。安倍退陣から再登板まで、5年もある。あの5年間、彼らは全く同じことをやり続けている。その間、民主党政権の誕生と瓦解、東日本大震災など、さまざまな出来事があった。にもかかわらず、彼らは変わらない。同じことを繰り返している。何かある。この持続性と反復性を生む、何らかの原因があるはずだ。

 サラリーマンだった当時の私は、とある部局の責任者として勤務していた。予算や人事的な責任だけでなく、その部署における顧客対応と品質管理の最終責任も私の職掌範囲であった。製造ラインなりサービス部局なりのアウトプットが、ある「偏り」や「ばらつき」を示すとき、その「偏り」や「ばらつき」には必ず、原因が存在する。品質管理の手法とは、顧客アンケートや従業員アンケートなどといった定性的な情報に頼ることなく、徹底してデータを集め、そのデータを冷静に分析し、「偏り」や「ばらつき」を生むルートコーズ=根本原因を突き止めていく過程に他ならない。その根本原因は、しばしば、想定外のものであったりする。

 こうした品質管理の手法を「保守論壇誌」そして「保守論壇誌の登場人物」の解析に用いれば、彼らの「偏り」を生む根本原因を究明できるはずだ。

 そう狙いを定めて以降、手当たり次第に「サンプル」を集め出した。サンプルは、路上のヘイトデモであったり、保守論壇誌の記事そのものであったり、地方議員へのインタビューであったりと、多岐にわたった。時系列的にも、第一次安倍政権誕生時をはるかに遡り、村松剛や清水幾太郎など「元祖保守論壇人」が活躍し出す1950年代末までに及んだ。

 そうして一つの答えに行き着いた。それが、「日本(にっぽん)会議」の存在だ。


 日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば「全国に草の根ネットワークを持つ国民運動団体」だ。

 私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで「右翼」あるいは「保守」と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、「右翼であり保守だ」と自認する私の目から見ても奇異そのものであり、「保守」や「右翼」の基本的素養に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。

 そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。

 そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体「日本会議」なのだ。


「日本会議周辺の保守論壇人は異質だ」

「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは、明らかに違う」

 集めたサンプルを虚心坦懐に読み解くと、そう結論づける他なかった。


 しかし、日本会議の存在に行き着いたものの、メディアは日本会議のことをまったく報じる気配がない。私はといえば、一介のサラリーマンにすぎない。こうした見解を発表する場など与えられるはずもない。止むを得ず、ツイッターなどのSNSで自分なりの論考を私的に発表し続けた。

 そうした論考の一つが、扶桑社が新たに立ち上げたWebメディア「ハーバー・ビジネス・オンライン(HBO)」の編集者の目に止まった。編集者なりに私の論考を裏取り調査してみても、その解析内容に無理やこじつけはないと感じたという連絡を頂戴した。そして、この論考を連載化しないかという提案をいただいた。

 かくて、2015年2月14日、Webメディア連載、「草の根保守の蠢動」は、スタートした。調査作業に対する編集部によるバックアップのおかげで、連載当初には想定もしなかった事実を次々と掘りあてることができた。そのためか、連載は好評を頂戴し、読者からも望外の反響をいただき、書籍化を希望する声も多数寄せられた。


 そうして生まれたのが本書である。


 編集にあたっては、この「はじめに」と巻末の「むすびにかえて」を書き加えるのみにとどめ、連載時の記載内容に極力手を加えない旨を基本方針とした。

 そのため、本書を一冊の本として通読する場合、いささか読みづらい箇所もあろうかと思う。しかしながら、時々の社会情勢――「自民党文化芸術懇話会における舌禍事件」「安保法制の国会審議」――などを反映しつつ進んでいった連載当時の雰囲気を残すための工夫であると、ご理解いただきたい。

(本の詳細はこちらから)

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