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一月〇日――新居で迎える二回目の正月も無事終わった。餅も食べたし、お屠蘇(とそ)も飲んだ。七草粥も煮て食べた。
暮れから何だかんだいって一月(ひとつき)以上温泉に浴していない吾輩は、そろそろ身体がゴギンゴギンになってきたところであるが、今日やっと東京を脱出した。
行先は田中温泉。鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)の駅に下りると、雪が降りしきっている。東京は晴れていたから、傘も合羽(かっぱ)も持ってきていない。雪ダルマになって宿にたどり着いた。
いつもの角部屋に通される。
「今朝、狐が出たんだヨウ」
宿のおばさんが窓の障子を開けて、そう語る。窓外には池があり、その向こうに林が続いている。朝、木の間をピョン【ピョン】跳ねるものがあるから、何かと思って見ていたら、隣の犬が吠え出した。狐だったそうな。
ここは猿も出る。そういえば、吾輩も以前狐らしいものの啼き声を暁に聞いたおぼえがある。
今日は疲れているので早く寝る。寝ればボンヤリした頭も冴えるだろ。
一月△日――朝御飯のあと寝直して、十時半に目が醒めた。近くの床屋に行く。暮れから刈っていなかったので、吾輩の頭は願人(がんにん)坊主のようだ。ようやくサッパリした。
部屋に戻り、炬燵(こたつ)で茶を飲む。ウウム、やはり温泉は落ち着くワイ。
干柿を食べながら考えた――吾輩がこんな温泉好きになったのは、一体いつからの事だったろう?
記憶を手繰(たぐ)ってゆくと、発端はかれこれ二十年前に溯(さかのぼ)る。
当時、吾輩は早稲田大学の「幻想文学会」というサークルに出入りしていた。この会の会長――小説家の神宮寺秀征氏である――が、夏に数人のお伴を連れて恐山旅行を決行した。吾輩もその仲間に入っていた。前後に岩手の夏油(げとう)温泉、下北の下風呂(しもふろ)温泉などにも泊まったが、何よりも恐山自体が素晴らしい秘湯であった。吾輩はこれにスッカリ味をしめたのである。
以来、会長や別の友人達と時々旅に出ることはあったが、今のごとく頻繁に温泉へ行くようになったのは、小説を書きはじめてからだ。当時、わが家には病気の年寄りがおり、泊まり込みの介護人や何かもいて、ガヤガヤして、とても文案を練る環境ではなかった。それ故、もっぱら旅先で筆を執る癖がついた。今は老人たちも死に絶え、吾輩はひとりきりだが、一度ついた癖は抜けないのだ。
それに吾輩がかかる悪習を矯(た)めずして恥じないのは、先例があるからでもある。すなわち、わが国に於いて文人が温泉に逗留するのは、明治からの伝統であった。
田山花袋の『温泉めぐり』(角川春樹事務所版『日本温泉めぐり』)を今手元に持っているが、これなど見ると、当時(この本の初版は大正七年だ)の知識人は春夏の休暇に「静かな山の中に本を読みに行く」ようなことをよくやったようだ。山に行けば温泉場もあるだろう。滞在費も、鄙(ひな)びた場所ならばかなり安価であった。温泉逗留は気軽に出来るバカンスだったのである。
吾輩は以前、川端康成が“伊豆の踊子”に出逢ったという湯ヶ島の「湯本館」に一泊したことがある。作家が泊まったのは帳場の真上にある四畳半で、その部屋は“川端さん”と呼ばれ、本などが置いてあった。つまり、安い部屋に気軽く長期滞在していたわけで、べつに奢(おご)った振舞いではなかったことが知れた。
同じように、信州田沢温泉の「ますや」には「藤村の間」がある。畑下(はたおり)の「清琴楼」には「紅葉の間」がある(もっとも、紅葉山人の場合は贅沢な遊山だったかもしれないが)。その他にも大町桂月と蔦(つた)温泉、漱石と修善寺温泉、林芙美子と角間(かくま)の「ようだや」など、作家と温泉のかかわりは深い。されば吾輩も真似をしようというのぢゃ。
宿代が大変だと思う人がいるかも知れぬ。それは観光温泉や料亭のような旅館を考えるから不可(いけ)ない。山中の湯治場なら、一泊二食つきで五、六千円台の宿はザラにある。自炊や半自炊をすればもっと安くて済む。仮に十日いて六万円かかるとしても、フランス料理を食べて上等な葡萄酒を飲めば、勘定はすぐそれくらいだ。寿司屋に三回行ったと思えば良い。中華料理店で大きなアワビとスッポンの裙(はかま)でも食べたと思えば良い。吾輩の如き貧書生でも温泉暮らしをあえてするのは、都会で飲食に費す金額を考えれば安上がりだからだ。
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| 今朝の湯はちと熱い |
一月□日――夕方四時半頃、友人のK君とH氏が来る。
三人は道路に面した二階の一室で夕食。窓を見ると、山の端に見事な夕月が上っている。今宵は十五夜だ。四方山(よもやま)の話をしながら十時過ぎまで杯を傾けて、めいめい部屋に下がった。
吾輩はこのあと六樹園の『飛騨匠物語』(須永朝彦訳 国書刊行会『現代語訳・江戸の伝奇小説3』所収)を読む。江戸のSFというべき読本だ。名工・飛騨の墨縄(すみなわ)が仙界で魯班に匠(たくみ)の道の奥義を授かり、謫仙(たくせん)である男女の恋を遂げさせるという筋だが、事あるごとに不思議な機械やロボットの類が続々と登場する。吾輩は子供の頃好きだった手塚治虫の『ワンダースリー』を思い出した。
一月☆日――K、H両氏は一晩きりで帰ってしまうという。さびしいことぢゃ。せわしないことぢゃ。
十一時頃、三人で鳴子へ行き、「滝乃湯」に入る。土産物屋で買い物をしたあと、駅前の「ゑがほ」食堂で飲む。つまみを沢山食べた――お通しの沢庵にモダツおろし、ムキタケおろし、鳥モツの辛味炒め、ぶりの塩焼、イカ・バター焼、キンキ鯛の塩焼、親子丼の“御飯ぬき”を平らげたあと、めいめい麺類を食す。酒は地ビール二本、お銚子十数本。
良い心持ちで電車に乗り、吾輩は鳴子御殿湯で下りる。二人は東京へ帰って行った。
H氏は持って来た本をすぐに読み終えてしまったと言っていたが、それはやはり温泉に来たからである。
文士にとって温泉に如何なる効用があるかというと、第一に心が落ち着き、執筆に専念できることだ。
旅館暮らしは上げ膳据え膳である。食事をこしらえたり、食べに行く必要がない。吾輩は外食すると酒を飲まぬことがないので、しぜん一杯は二杯になり、二杯が三杯になり、果ては梯子酒をしてしまう。旅館に一人でいる時は、一滴も飲まない。黙々と飯を済ませ、一休みして、また仕事をはじめるのぢゃ。おかずがあまり贅沢だと、どうしても酒が欲しくなるから、仕事をするには質素な湯治宿が一番だ。 |
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