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(17)日本一の田宮ファン──2
世はまさに「お宝」ブームだった。「なんでも鑑定団」といったテレビ番組が火付け役となり、老舗の模型店にデッドストックを求めてマニアが押しかけ、古いキットが高値で取引されているといったニュースも聞こえて来ていた。
模型屋に限ったことではないが、企業にとって過去は必要ない。いつの時代も今大切なことは、明日の利益を生み出すための新しい知恵と過去にこだわらない勇気と地道な努力、そしてなにより模型への愛だ。チャップリンの名言を拝借するならば、タミヤの最高傑作は「NEXT ONE」である。
この信念は今も変わっていないのだが、松井さんの出現によって歴史の大切さを再認識させられたのは確かである。
たとえば、彼のHPで紹介されているロゴマークの変遷などは、最初期ロゴ(木製模型時代に使用していた地球儀にT.M.Kのイニシャルが入ったもの)、旧ロゴ(左が青で右が山吹色のツインスター)、中期ロゴ(黒丸にカタカナでタミヤと入ったマーク)、新ロゴ(現在の赤と青のツインスター)と分類している。そのうえ、最初期(一九五三〜六〇)、旧ロゴ(六〇〜六六)、中期ロゴ(六五〜六八)、新ロゴ(六六〜現在)と使用年代を割り出し、おまけに、最初期ロゴには地球儀に大陸までかきこまれたものと簡略化されたものの二種類がある、旧ロゴの初期のものには地球儀マークが小さく残っている、中期ロゴは新旧ロゴといっしょに使われている、新ロゴのツインスターは模型界の人気者(スター)と主役(スター)を象徴させたものだ、などと紹介されている。
社の帳簿に残っている事項ではない。発売した全キットの箱をひとつずつ上面から側面から丁寧に見ないと分からないことである。いったい何年がかりでこのデータを割り出したのだろう。気が遠くなるような労力である。
「模型屋に過去は必要ない」と書いたが、じつはタミヤには常設の歴史館がある。八九年に本社ビルを竣工した時に社に保存していた完成品と箱、それに寄贈された船の木製模型などを一部屋にまとめ展示しはじめたのだ。タミヤが世に出したキットが全て揃っているわけではなかったが、私は(よくこれほど残っていたものだ)と満足していた。だが、松井さんはことあるごとに、「社長、このキット、歴史館にないでしょう」と珍しい旧ロゴのキットを寄贈してくれた。
もうこの世には残っていないだろうと思っていたキットにも対面した。“二〇〇〇年問題”を無事越えてほっとしていたころだったろうか、二十一世紀になるのを記念してつくった『田宮模型全仕事』(田宮模型編 全三巻 文春ネスコ刊)で編集ブレーンになっていた彼が、静岡まで箱らしきものを大事そうに抱えて訪ねて来てくれた。
「社長、こんなものを見つけてしまいました」と取り出したのは、発泡スチロール製の「スカイマブチ」である。自分の年よりも古いキットを捜して来てくれたのだ。感動しながら胸が痛んだ。タミヤが初めてプラモデルを作った時に全く売れなかった。苦し紛れに発泡スチロールのキットを七種類(ブルーバード2世、ハイスピード、スカイワゴン、スカイマブチ、ミゼットハウス、ミサイルタワー、雪国の家)、六一年六月から九カ月間にわたって発売していた。もっとも苦しい時代だった。その苦い記憶が一瞬にして蘇ったのだ。
「松井さん、よくありましたね。一番苦しい時代のキットですよ」と言うと、彼はうんうんとうなずいて聞いてくれた。
『田宮模型全仕事』では、タミヤの歴史を書き替える発見があった。第一号のプラモデルが1/800「武蔵」といわれつづけ、誰一人その記録に疑問を抱かなかったのだが、編集の過程でひょっとして「大和」が第一号ではないかとの疑念が編集部でわいたという。日本最古の業界紙「日本模型新聞」の本社で昭和三十年代半ばのバックナンバーをすべて探索。昭和三十五年五月に第一号「大和」が発売されたことが確定されたのだ。ちなみに「武蔵」はその半年後に発売された同じ金型の箱替えキットであった。わが社で編集窓口になった広報部の海野君から報告を受けたのだが、私の根拠は先代社長の自伝である。「ああ、そうだったか」とうなずくしかない。
「書名の“全”の一文字が重かった」とのちに松井さんが語ってくれたことがある。発売された全キットの箱絵と完成品の写真と解説文を載せる。それが編集方針だったから、「このキットの完成品はありません」とはけして言いたくなかったのだろう。
だが当然、「大和」、「武蔵」の完成品はこの世に現存していなかった。彼が決死の覚悟で自分の一つしかないコレクションを組んでしまおうとしている、と私の耳に届いた。
  今度は私が覚悟を決める番である。
「金型を捜して、新しくつくろう」と指令をだした。
捜せばあるものだ。金型は四十年の時をへて蘇った。取付部分の規格が違って射出成形機に取り付けられないなどの困難を現場の知恵で乗り越えて、無事に完成したと報告をうけたのは、本の発売の二週間前だった。
渋谷のPARCOで「I LOVE TAMIYA展」というタミヤの歴史を総覧できる大規模な展示会の開催を相談された時には、歴史館の展示物をそっくりお貸しするわけにはいかず、主催者になるのをお断りした。本社に見に来てくれるタミヤファンを最優先したい気持ちと、展示物を動かすことで破損などの事故を恐れたからだ。
それでも展示会は開催された。じつは記録写真など一部を除き、PARCOでの展示物はすべて松井さんのコレクション、あるいは松井さんの人脈で貸し出し許可を得たものである。広いとは言えない空間にコンパクトかつ盛り沢山に紹介されたタミヤの歴史、圧巻のジオラマのコーナーや発売後加筆した箱絵を加筆前、後と二枚並べて間違い探しのように仕立てたコーナーなどがあり、とても良い展示だった。
なんでも協力するかわりに彼はこんな条件をだしていた。
「会場にあがるエレベーターにタミヤのマークを大きく描いて、扉が開くとツインスターが赤と青で左右に分かれるようにしてほしい」
松井さんの携帯ストラップには915という番号が付いている。「社長、これは田宮模型発祥の地、静岡市小鹿915番地です」と人懐こい笑顔で教えてくれた時には、心底おどろいたものだ。
  彼はHPでは「助手」と称している。助手さんのHPは、発足六年目にして六十万ヒットを達成したばかりである。
(構成/烏兎沼佳代)
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