トップ本の話
読書エッセイ|本の水脈

第1回 アンニュイを極める

 ダルい人や退屈な人は山ほどいるだろうが、アンニュイな奴はそうザラにはいない。もし、アンニュイな奴を知っているというなら、そいつのケツに火をつけたり、ユンケルを飲ませてみよう。すると、あーら不思議。みなさんテンションがあがるではないですか。このことから、アンニュイとは、疲れているのとも違うことがわかりますね。
 さて、アンニュイな奴はA・モラヴィアの『倦怠』の中に出てくる主人公、ディーノかもしれない。大金持ちの放蕩息子で、なんちゃって画家をしているが才能などあるはずもない。彼はユンケル程度では覚醒しない本格的なアンニュイだ。
 ところが、彼のアンニュイが揺らぐときがきた。モデル嬢、チェチリアとの出会いである。彼女は身体感覚だけで生きている女だ。一応会話はできるが、それが脊髄反射だということがすぐにわかるだろう。チェチリアはベッドの上でしか人間らしい想像力が働かない。それでいて、肉体の歓びには優れて高等な感覚を持っている。
 チェチリアはお金も、上等な服も、貴金属も、まるで興味がない。それは彼女の肉体にも表れている。目も眩むような金髪の持ち主ではないし、ナイスバディというわけでもない。しかし装飾がない分、チェチリアの魅力はシンプルに発揮される。女の肉体の最大公約数がチェチリアの武器である。
 もちろん情婦となっても、ディーノ以外の男と平気で浮気するし、それを隠そうともしない。彼女の無邪気な残酷さにディーノは煩悶する。意を決したディーノは、腐るほどの財力と上流社会への切符をちらつかせてチェチリアに求婚するがあっさり断わられてしまう。彼女はアパートとお城を、広さでしか区別できない女なのだ。
 チェチリアには「今」しかない。それも「今」肉体にスイッチが入るかどうかが重要である。たまたま「今」側にいるのがディーノなので、行為に及ぶだけだ。
 そしてチェチリアは、実の父が危篤の夜、ディーノから貰った7万リラを持って、新しい恋人とバケーションに出掛けてしまう。それを知り、錯乱したディーノは猛スピードで車を飛ばして自殺を図るが──。
 はい。ここで冷静になってみましょう。アンニュイな人は自殺をしません。生きる気もなければ、死ぬ気もないからアンニュイなのです。これはある種の心理状態であり、継続することで形を帯びてきます。瞬間を生み出す存在だけが、アンニュイを破壊できるのです。それはチェチリアです。彼女こそ、アンニュイと対決するために神から遣わされた最終兵器なのです。この女にかかれば、誰でも「今」しかなくなります。
 フリーダイヤルでおかけください。


チェチリア・ミナルディ(17)
 15歳でジジイを腹上死させる。
 いつでも、どこでも、誰とでも。
後腐れはありませんが、独占もできません。
本の話最新号目次
バックナンバー
PICK UP
自著を語る
私はこう読んだ
完結連載
酒屋に一里 本屋に三里
虎馬圖書館
大和屋女将の語る
昭和のサムライたち
読書エッセイ
よせてはかえす恋の波
湯けむり読書日記