プロジェクトストーリー 『火花』の軌跡 −純文学作品が200万部を超えるまで−

ターニングポイント2

2015年3月11日 単行本『火花』発売。
メディア露出と書店販促、動画広告で、発売直後から増刷

―― 1月の文學界増刷の後、3月11日には単行本が刊行されますが、これは異例のスピードではありませんか。

大川 確かに時間の猶予はありませんでしたね。とくに難しかったのは装丁です。この作品をどのような絵で飾ればよいのか、なかなか決まりませんでした。まずなんとか8点ほど案をまとめてお見せしたのですが、又吉さんは穏やかな方だけど、美術もお好きで非常に詳しく、妥協されない。「うーん……そうですね……」と仰ったまま考え込んでしまったので、全部取り下げたんです。この時点で校了まで3週間でしたから、残された時間は10日もなかった。
 崖っぷち状態のなか、書店に行って悩みながら写真集や画集を片っ端から見て、これもダメ、あれもダメと気付けば数時間が経過したときに、西川美穂さんという若手の画家の「イマスカ」という作品に巡り会ったのです。「これはいい!」と直感的に確信したものの、ほかにも可能性のありそうなものを加えて新たに5点を又吉さんにお見せしました。そしたらものの3秒で「イマスカ」をデザインしたカバーを「これいいですねぇ」と。ほっとした瞬間でした。判りやすいとは言えないので、営業担当の竹下さんに見せると、しばし絶句していましたが(笑)。

竹下 いえいえ、そんなことないですよ!……描かれている形が、又吉さんのお姿に似ているとは話していましたけど(笑)。

大川 それは冗談ですけど、今でこそ『火花』といえばこの装丁しかないと定着しましたが、内容とは何も関係ない絵ですからね。又吉さんがいいと言ってくれるまでは怖かったですね。

竹下 そんな不安を抱えていらしたとは露知らず。だって、14年の年末にあった新刊の会議での大川さんのプレゼンはすごかったんですから。「芸人が小説を書いたのではない、小説家が芸人をやっていらっしゃるのだ!」と。この作品がいかに素晴らしいか熱弁されて、一気に捉え方が変わりました。

大川 ただ、初版5万部と提案したら、みんな「えー!?」と呆れてしまって(笑)。

竹下 私もお話を伺うまでは初版8000から多くて2万部、その後増刷して累計数万部かなと思っていたので、さすがに5万部には驚きましたね。
 でも今振り返れば、それも序の口でした。文學界が話題になった直後の1月末、宣伝プロモーション部が作った取材予定一覧には数十媒体の名前がずらっと並んでいたんです。通常は、たとえば「王様のブランチ」(TBS)で取り上げてくれるとか、朝日新聞の書評に載るなど一つだけでも十分にありがたい。それが「こんなにたくさん!?」と腰を抜かしました。自分たちの発想を根本的に変えないといけない、「いまだかつて経験したことのない事態が起きつつあるのかもしれない」と。結局、初版15万部という文芸書としては破格のスタートになりました。

著者直筆メッセージを掲載したポスター 高橋 これには資材の担当者からしてもびっくりしました。テレビで活躍する芸能人だとはいえ、当初の5万部という数字も、実際は3万部ほどかなと思って準備していましたので、初版15万部は資材の調達からしても大丈夫かな?と思いましたね。

竹下 でも、実際は注文が殺到して15万部でも全然足りず、書店搬入日の3月9日に3万部、発売日の11日に7万部の重版が決まりました。とくに、発売後1週目にしてTSUTAYAやくまざわ書店、未来屋書店などの郊外型の主要チェーンで軒並み約7割という驚異的な消化率を記録して、すぐにまた重版決定となりました。

高橋 ここで問題となったのは、数万部単位で決まっていく重版に、資材が足りるのかということです。本は商品ですから、資材がショートすれば刷ろうにも刷れないんです。用紙は代理店に相談してなんとか調達できましたし、花布(はなぎれ。上製本で中身の背の上下に、補強や装飾などのために貼る飾り布)も間に合ったのですが、スピン(しおり)が足りなくなった。18万部まではうぐいす色ですが、それ以降は赤色に変えてもらいました。だから、しおりがうぐいす色の『火花』はかなり貴重です(笑)。

動画宣伝を積極的に展開

竹下 この爆発的な売れ行きを営業部総動員で支えました。書店2300店にポスターとPOPを送付し、サイン本2000冊を用意しました。そして何より、又吉さんご本人の記者会見をメディアを通じて流すことが最も効果があるだろうと考えました。

田中 それで、発売日翌日の3月12日、紀伊國屋書店新宿本店で、『火花』出版記念の囲み取材と「サイン本お渡し会」を開催したんです。 3月12日、東京・紀伊國屋新宿本店で開催されたサイン会では、一冊ずつ手渡しした

篠田 8階のイベントスペースに、新聞やテレビ、雑誌など40社以上のメディアの記者さんが溢れるほど集まってくださって、その熱気たるやすごかった。又吉さんの所属事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシーさんに円滑に仕切っていただけたこともありがたかったですね。

竹下 その模様は、当日夜のNHK「ニュースウオッチ9」をはじめ、広く報じられて。あの宣伝効果は大きかったですね。

田中 社としても動画によるプロモーションに力を入れました。渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンを3面にわたってジャックし、又吉さんの真面目なお人柄が伝わる15秒の動画CMを流しました。同様のCMを新宿アルタや池袋、山手線車両内のトレインチャンネルでも放映して、多くの方の目に触れるようにしました。動画のインパクトを、身をもって知りましたね。 渋谷・スクランブル交差点と新宿・アルタの大型ビジョンで動画広告を放映

竹下 そうした各部署の努力の甲斐もあってか、発売から3カ月が過ぎた6月15日で累計42万部に到達したのですが、6月19日、『火花』が芥川賞候補作となるや、悲鳴のような追加注文が殺到したんです。折りしも前日に深夜番組「アメトーーク」(テレビ朝日)が「読書芸人特集」を放映したことも後押しになって、売れ行きは一気に10倍。ある取次の担当者が「通常の受賞作より売れている」と驚嘆するほどで(笑)。発売直前の壮行会で、浅井さんが、「100万部いくといいですね」とお話しされていたことが、いよいよ現実となりそうで、そうした雰囲気を誰もが感じていました。

2015年7月16日 芥川賞受賞。下は小学生から上は85歳まで、幅広い読者を魅了しベストセラーへ