プロジェクトストーリー 『火花』の軌跡 −純文学作品が200万部を超えるまで−

 2015年、最も話題となった文芸作品といえば、第153回芥川賞を受賞した又吉直樹さんの『火花』と言っても過言ではないでしょう。人気お笑い芸人が受賞したことも初めてならば、単行本が発売後、短期間のうちに累計発行部数が251万部(2016年1月末現在)に達し、日本中の老若男女あらゆる人が、普段あまり馴染みのない「純文学」作品を手に取ったことも驚くべきことでした。
『火花』がどのようにして生まれ、社会現象にまでなったのか―。編集者と、営業、資材、宣伝プロモーションの担当者が、あの〝熱狂〟の日々を振り返ります。

※情報は2016年2月時点における内容です。

ターニングポイント1

2011年6月12日 それは偶然の出会いから生まれた。
「火花」が誕生するまで

―― まず『火花』誕生前夜からお話を伺います。担当編集となる浅井さんが、又吉さんと初めてお会いになったのはいつですか。

浅井 2011年6月、文学フリマの会場で偶然お会いしたのが最初です。当時は「別冊文藝春秋」編集部にいたのですが、ある先輩が「ピースの又吉が別冊文藝春秋を読んでいるとブログに書いていたよ」と教えてくれて、よほど小説が好きな方なんだろうと思っていた矢先のことでした。又吉さんはプライベートで会場にいらしていて、全く芸能人ぽくなかったんです(笑)。シャイで朴訥とした印象で、でも急に声を掛けたのに、ちゃんとこちらを向いて話していただいた感じがしました。ほんの僅か3、4分の出来事でしたが、その壁のなさに感動したのを覚えています。

大川 その感覚は僕もわかるなあ。又吉さんは、本当に澄んだ目をお持ちです。これはちょっとテレビで見ていては伝わらなくて、相対した者が感じるものだと思う。

篠田 お会いしてみると、静かにお話しになる本当に素敵な方ですよね。

大川 たとえるなら、静かな山の中の湖のような方。そして又吉さんの文学的教養の深さ、広さについては、お書きになったエッセイや書評などを通じてすでに知られていましたが、お話しした瞬間にその人格の高さに惚れ込みましたね(笑)。

浅井 偶然ながら出会いは幸運だったなと思います。そうしてお人柄に接して、誠実に本を読まれている方だと感じ、改めてエッセイや俳句などを読み返してみました。文体があり、芸人という職業柄ということもあるかもしれませんが、独自の観察眼とエピソードの切り口や描き方が面白い。本格的な小説を読んでみたい、と純粋に思いました。
 ただ、すぐに作品をいただけたわけではありません。又吉さんは、自分がどう見られているか、自分の言葉がどう伝わっているかに敏感で、芸人として自分が納得のいく表現を常に目指す、芯の強い方。加えて本、とくに小説へは強い思い入れをお持ちで、好きゆえに書くことを躊躇われていました。しばらく「書いてください」と愚直にお願いして、別冊文藝春秋に自伝的な短編を二篇書いていただきました。初めての小説とは思えないぐらい面白くて、嬉しかったですね。 別冊文藝春秋に掲載された短編小説「そろそろ帰ろかな」(299号)と「夕暮れに鼻血」(301号)

著者と作品に惚れ込む

浅井 その後、「文學界」編集部への異動を経て、2014年春に改めて小説執筆をお願いしたところ、「一から新しい作品を書きたい」と仰ってくださって。芸人の小説と話しあいのなかで決め、一篇で本として刊行できるように、少なくとも150枚、年末までに書いていただきたいとお願いしました。

田中 超多忙な方ですが、原稿は順調に届いたのですか。

浅井 それはもう驚くばかりで、2カ月ほどで230枚を書き上げてくださいました。途中で、「書いたので読んでください」と何度か原稿をいただき、又吉さんの「この場面どう思われますか」という疑問に対して、私が読んでどう思っているかお話をしました。作品へのめり込みつつも客観的な視点をお持ちで、修正するか否かの判断も的確な方ですが、又吉さんが何を表現したいのか、何を伝えたいと思っているのか、読者への媒介者として相談相手になることが私の役割だったと思います。

大川 それでも「火花」というタイトルは、又吉さんもいろいろな迷いの中で、最後これでいくということだったんですよね。

浅井 ほかにも幾つも候補があって、又吉さんとの話し合いのなかで絞られていきました。作品は、芸人の「徳永」やその先輩「神谷」が花火会場で漫才をする場面から始まります。芸人同士の言葉の火花が散り、芸人の生きざまは火の粉のようでもある。そして、又吉さんはピースの前に「線香花火」というコンビを組んでいた……。そうしたいろんな点が線で繋がって、このタイトルに落ち着きました。

大川 稀有な魅力がある内容なので、浅井さんも僕も、会って惚れ、読んで惚れ、何か微熱状態の中にずっといて、それが数多くの人にも伝播したということじゃないでしょうか。読者も同じで、高校生が「文學界って雑誌ありますか」と買いに来たんでしょう?

史上初の増刷に、又吉さんは「僕は、人間を深く掘り下げた小説に何度も救われてきました。『火花』は自分なりに人間を見つめて書いた作品です」とコメント 竹下 ええ、書店の注文を受ける営業としても前代未聞でしたね。通常、文學界は初版1万部ほどなのですが、発売日の午前中から追加注文が相次ぎ、早々に翌日の7000部増刷が決定したのですが……。

田中 宣伝プロモーション部から「1933年の創刊以来、史上初の増刷」というリリースを出してからお祭り騒ぎになってしまって。文學界という雑誌名がヤフートピックスに載ったことがもう画期的(笑)。

竹下 そのリリースで火がつきましたね。書店さんからの注文件数がケタ違いに増えました。そこで、発売翌々日にさらに増やして合計3万部の増刷となり、累計4万部になりました。

浅井 Twitter上で「〝文藝界〟をはじめて買った」とつぶやかれたり、駅の本屋さんのレジに「文學界売り切れです」というポップがはってあったりするのを見ては感動してましたね。

2015年3月11日 単行本『火花』発売。メディア露出と書店販促、動画広告で、発売直後から増刷