岩永 ウッドハウスの本は『聖書』の次に売れているという人がいるんですよ。
小山 あり得ることですが、でもシャーロック・ホームズも抜いていると?
岩永 作品数がホームズより多いから。僕もおおよそ全部、読んだつもりなんですが、ストーリーがほとんど同じなんで、こんがらがっちゃう。だからこうして帳面につけたりして(笑)。
小山 ウッドハウスの小説世界には「偉大なるワンパターン」というようなところがあって、そのあたりはミュージカル・コメディに近いかもしれませんね。それも三〇年代のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのあの呼吸。
岩永 実際、ウッドハウスはミュージカルの仕事をしているでしょう。いちばん有名なのは映画《ショウボート》の「ビル」という歌の作詞です。
小山 もしかすると、アステアとロジャースの映画の原作がウッドハウスだったりして(笑)。
岩永 ウッドハウスという人は四六時中、プロットを考えてるんですよね。筋を練りに練って練りに練って、その上にユーモアの肉付けをしていく。
小山 しかも何度も書き直して。ウッドハウスの文体は、英語の散文のいきつくところまでいった形であるというのは、間違いないと思います。
岩永 長編になると本当に綿密に組み立てられているのがはっきりわかりますね。
小山 短編でもそう。それも二回、三回読まないとそれとわからせないという、そのあたりが作者の粋なんですね。
岩永 さらっと読み飛ばして、あとになって、待てよ、と思って読み返してみると、やっぱり伏線があった、とニヤリとするような。
ジーヴズとバーティ
小山 ウッドハウスというとまず、ジーヴズと若主人バーティの物語を書いた人、ということでいいんですか。
岩永 オーストラリアなんかに行っても、まず「ジーヴズ」ですからね。でも実際には二十世紀に入ると、バーティのような若い金持ちが個人の従僕を持つというのは少なかったわけでしょう。だから、あの世界は現実ではないんです。
小山 ジーヴズが、バーティの趣味の悪い服装を咎めるのがシリーズのお約束ですが、ジーヴズの服の好みってのは恐ろしく保守的なんですよね。いま僕が着てるチェックのワイシャツなんてのは、彼は認めなかったと思います。
岩永 捨てられちゃうな。
小山 彼が許すシャツはおそらく白でしょう。せいぜいストライプまで。ネクタイは水玉かレジメンタルしか認めなかったんじゃないかなあ。
岩永 堅い本ばっかり読んでいるんですね、ジーヴズは。とりわけスピノザが大好きだとあります。
小山 人間の自由意志の否定のうちに逆説的な自由を見出すスピノザを読んでいるあたり皮肉ですよね。
岩永 あと博打の天才。バーティがジーヴズに意見を聞くと、必ず勝ち馬を知ってるわけだし、カジノに行っても必ず勝つ。なのに、なんで従僕なぞをやってるの? というのがいちばん素朴な疑問。
小山 そんな天才を従僕に持つほどの金持ちなのに、バーティ・ウースターは貴族ではないんですよね。
岩永 それが昔からの謎なんです。
小山 ただ、基本的にバーティが動き回る世界が上流階級(アッパークラス)のそれであることは間違いないでしょう。もっとも、実際のイギリスの上流階級とは全然ちがっているわけですが。
岩永 でも、作中に《のらくら倶楽部(ドローンズ・クラブ)》なんてハチャメチャなどら息子のクラブが出てきますね。似たようなクラブは現実にあったみたいですよ。
小山 いまでもロンドンの高いホテルのバーとかに行ったりすると、この人ら、働いてんのかなあという感じの若い連中が、酒飲んでたりしますからね。
岩永 バーティというのは一切、人生に目的をもっていなくて、悩みというものがないんですよ。
小山 虚しさとか経済的心配であるとかいった現世的な悩みはバーティの人生には最初から存在していない。ふつう、そんなことをしたら小説は成り立たないだろうと思うのに、成り立っちゃうのがすごいところで、だからウッドハウスは唯一無二の才能なんです。 |