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――椎名さんにはこれまでも『犬の系譜』や『黄金時代』など、多感な十代を描いた自伝的小説があります。今回の『波切(なみき)り草(そう)』とそうした作品との違いは何でしょう。
椎名 この小説を書く最初の動機として、もう一つの自分の世界を追いかけてみたい、という気持ちがありました。僕の中学時代は『波切り草』の設定にあった通りの不満足なもので、教師に恵まれず、授業にはノリ切れず。それで中学を卒業したら高校には行かず、半分漁師みたいにして暮らしていた親戚の叔父さんにくっついて、海の仕事をしたいと本気で考えていたんです。
兄に止められてしまったけど、あのとき叔父さんにくっついて海で働いていたら、自分の人生はどうなっていたかなあ、と思ったのが書き出すきっかけでした。その叔父というのが作品に登場するツグモ叔父のモデルです。
それと当時はまだ珍しかった産業育成高校をぜひ舞台にしてみよう、と。房総半島の先端に近い、山の上にある学校という設定とは場所がちょっと違うけど、僕は浪人時代に一年間、工業高校の土木科で助手として働いたことがあるんですね。親父がいなくて経済的に厳しかったから、アルバイトしながら予備校に通っていた。自分の経験で書ける世界だったんです。
――主人公の勇は父親を早く失い、五人兄弟の四番目で、上二人は異母兄姉、という複雑な家庭環境には踏み込んでいませんね。
椎名 家族の事情や異母兄姉のことは自分の家をモデルにしているので、ほとんどあの通りなんですが、それは以前の小説でも書いているので、またなぞることはやめよう、と。それよりも今回は姪が生まれたり、姉が結婚して新しい家庭を作ったり、弟が成長していく様子など、もっと明るい、アクティブな方向に進めたいと考えました。
――勇も優等生ではないけど、健やかで心身のバランスがとれた少年です。その勇が心を開いているツグモ叔父の存在も光ります。
椎名 実際の僕は勇みたいに正しい少年ではなく、どちらかといえば喧嘩に明け暮れる『黄金時代』の主人公に近い。僕が通った学校は「第一期荒れる中学」みたいな、相当なワルが集まった、千葉県でいちばんダメな学校だったんじゃないかな。その意味でも『波切り草』はこうあってほしかったというアナザーヒストリーなんですね。
ツグモ叔父に関しては、昔大工だったとか、屋根裏部屋を作ってもらうとか、そのあと土木作業員になる、という設定は実際にあったことばかり。モデルの叔父さんは最初、僕の家に居候していたんだけど、そのうち海岸べりに掘っ立て小屋を建てましてね。地元で漁の差配をしている人にくっついて、小魚や貝を獲りながら、その日暮らしの商いをしていました。当時は叔父のように舟を持たない沿岸漁師がけっこういたんですよ。今でいえばホームレスすれすれ、ですね。復員兵の流れなんでしょうけど、あの頃は家に叔父さんが居候しているという友達も珍しくなかった。
賭け事はする、酒は飲むしで、母にいつも叱られていたけど、子供の夢の尺度は独特だから、ちっちゃなスケールで自分の家を作って、そこで自活している叔父がすごーく魅力的に見えた。だから僕は今でもキャンプなんかして、テントという自分の小屋にいるのかもしれませんね。
――そうやってのん気に貝を掘りながら、暮らしていける時代だったんですね。
椎名 そう、海辺に掘っ立て小屋を建てて勝手に住み着いても、町はうるさいことをいわずに容認していた。いちばんたくさん獲れた貝といったらシオフキで、それこそゴミみたいに獲れるんです。ただ、砂をたくさん含んでいるから、殻をはずして、むき身にして、洗わないと売り物にならない。ザルに入ったのが駅前に並んで、よく売られていましたね。それが風物でもあったんです。
川原に生えた竹笹や葦が波切り草と呼ばれると書いたのは小説世界のことで、実際にそういう草があるわけじゃありません。モチーフになったのは叔父さんとハゼ釣りをしていたときに見た、河口にいっぱい生えている葦です。あれは潮が満ちてくると、水の中に入ってしまう。草は動かなくても、水が動くから、波を切っているように見えるって、叔父さんが教えてくれました。海にはベカ舟がいくつも浮かんで、まるで山本周五郎の世界。小説にも書きましたけど、打瀬(うたせ)船といって、大きな二十人乗りくらいの帆掛け船も僕は一、二艘見ているんです。それが網で魚を根こそぎ持っていく間をベカ舟がチョロチョロしている。
農業もまだ元気があって、海に一日いても効率は悪いから、魚の獲れる時期に合わせて海に行き、あとは野良仕事。そういう家が町の三分の一くらいを占めていたと思います。
――小説の中盤以降は山の上の職業高校に舞台が移ります。土木科に入った勇は親元を離れ、寮で暮らし始めます。男ばかりの生活はむさ苦しくも楽しげですね。旧制高校みたいで。
椎名 僕が一年間働いていた学校も、まさしく男ばかり。県立なんだけど、当時、職業高校は少なかったから、全国から生徒が集まっていたんです。家から通えない生徒が近くの安アパートを占領して、ほとんど学生寮みたいな状況になっていた。よく遊びに行ったからわかるんだけど、旧制高校の気配を残した世界がそこにはあったと思います。
僕は高校のとき柔道をしていたので、そこでも柔道部の顧問になったんです。顧問といったって、まだ十九歳だから、すぐ下とは一歳しか違わない。血気盛んな、体力のある連中だから、必ずしも僕が強いわけじゃなく、生徒に負けたりする。恥ずかしい顧問なんだけど、運動になるからって、すごい勢いで打ち込んでました(笑)。
あの時代の職業高校って、まじめな生徒が多かったんですよ。小説に出てくる体育祭の棒倒しも、ほんとにあんな感じ。僕が助手をしていた土木科は生徒の人数が少なかったので、少数勢力で戦うための作戦を授けたりして。ここでの体験や味わった気配は後に作家になってから、書くときの大きなバックボーン、記憶の武器になりましたね。
――高校生活で描かれるのは体育祭や海の家でのアルバイト、栄という少女との初恋など。ドラマチックな出来事は何もありません。劇的な要素を盛り込んだほうが、エンターテインメント小説はもっと書きやすくありませんか?
椎名 僕は小説、小説した話は書けないし、見え透いたクライマックスに持っていく小説もあまり好きじゃない。起承転結がなくても、その場の情感だけで伝えていく小説があってもいいと思うんです。
文学賞の選考委員をやっていると、自分の趣味では読まないような新進作家の作品をたくさん読むんですね。するとうまいなあと感心すると同時に、なぜこんなに激しく、いろんなことが起きなくちゃいけないんだろうと空しくなることもある。薬で体をボロボロにしたり、五人も六人も人を殺したり。それもこの程度のことで人を殺すかなあって理由で。極彩色のハリウッド映画を観ているような感じですね。
何も起こらなくても、涙さえ流さなくても、人生って書けるんじゃないか、と。僕は阿部昭という寂しい私小説作家が好きなんだけど、その人の作品はほんとうに何も大きな出来事がないんです。だけど、読み終わると、ああ、人生だなと思わされる。そういう小説が文学の世界の背骨みたいに、昔からずーっと貫かれていたと思うんです。
――『波切り草』の主人公も何気ない日常の中でゆっくり成長していくのがわかります。とくに授業で習った橋梁の構造にがぜん興味を持ち、自転車に乗って学校の近くの橋を見てまわるシーンは印象的でした。
椎名 あれはね、土木科で助手をしていたときにトラス橋とかアーチ橋とか、模型を使って強度実験をやった自分自身の体験なんです、生徒と一緒に。すると僕も興味がわいてきて、あの頃は橋を見るたびに「ああ、これはラーメン構造でやっているな」とか。それが小説にも投影できたということです。
ただ、初恋はまったくのフィクションですし、栄のモデルになった女性は残念ながらいません。だから、「自伝的」といわれると、ちょっと恥ずかしい(笑)。僕が高校の頃はガールフレンドなんていなかったし、シンプルもいいところ。女の子とろくに話をしたこともなく、手紙で何度かやりとりした程度で、恋は淡い憧れの世界だったんですね。 |
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