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――いま「近現代史」や「昭和史」に対する関心が高まってきていて、書店の店頭を見ても関連本がずいぶん出ています。八月には文春新書からも『明治・大正・昭和30の「真実」』(三代史研究会著)『昭和史の怪物たち』(畠山武著)という二冊が刊行されました。
たとえば『30の「真実」』では、いわゆる歴史常識の中に埋もれた三十の史実を取り上げました。類書は今までも色々出ていますし、それらの中には「トンデモ史観」のたぐいもあるので、書名で誤解されないといいのですが。
秦 よく歴史を語るときに「通説」とか「定説」ということばが使われますが、じつは大した根拠もなくなんとなく決まってしまったものも多い、ということをまず申し上げたいですね。
歴史の専門家ですら、自分がよほど深く精通した分野以外は、通説を前提として歴史を考えます。同じように、通説と反対の見方を提示されても、疑いもせずに済ませがちです。それに、往々にして定説よりも逆説のほうが読み物としてはスリリングで面白い(笑)。
しかし、わたし自身が歴史を考えるときに留意していることは、「おおむね真理は中間にある」という金言です。定説に対して正反対の解釈を強く打ち出した反論とか逆説が出てきた場合、どちらが正しいのかというのもさりながら、両者の中間のどのへんに真理があるのかなと見当をつける習慣にしています。そうすることで、思考の整理にもなるし、先入観を排して洗い直すきっかけにもなるからです。
定説のなかには、時に事実とは関係なく、特定のイデオロギー解釈に則って作為されたものすらある。
その見直し作業をする意味でも、この『30の「真実」』は示唆に富んでいつつも、史実を逸脱せず、面白く読みました。
――この本では、明治初年の「福沢諭吉は『人の上に人を造れ』と主張した」という逆説から「日本国憲法を作ったのは米国でも日本国民でもない」という戦後占領期の秘話まで、近現代史のなかから三十の史実を取り上げていますが……。
秦 大別すると、二種類ありますね。一つは、固定していたイメージを百八十度ひっくり返すようなもの。二つめが、歴史の中の副次的なエピソードを掬(すく)い上げたものです。
前者では、「乃木希典は戦(いくさ)下手の将軍ではなかった」が代表例でしょう。本書にもあるように、戦後「乃木凡将論」が定着してしまった感がありますが、果たしてそうなのか、という見直しですね。
日露戦争の旅順攻略戦では乃木の無理攻めで多数の犠牲を払ったのは否定できませんが、途中で指揮官を代えたら苦戦していた第三軍の兵士たちの士気は崩壊したかもしれません。仁将としての乃木の徳望を明治天皇も知っていたからこそ、「乃木を代えてはならん」と、命じたのでしょう。
それに日露戦争の最終決戦となった奉天会戦のときに、旅順の損害が祟って、乃木軍はかなり弱体化していましたが、乃木軍出現の報せをうけたロシア軍司令官のクロパトキンは慌てて総退却を命じました。乃木の名声にロシア軍が恐怖していたわけです。
「明石元二郎の破壊活動は失敗した」の章では、諜報謀略活動に従事したエリート軍人である明石による工作の一面を浮き彫りにしました。のちに陸軍中野学校ができた時に明石の功績を手本としたのですが、そもそも諜報謀略の世界は外側からはなかなか分かりにくい。日露開戦後にシベリア鉄道の爆破工作に失敗したというのは事実ですが、それでもロシア国内の動揺が加速したのもまた否定できません。
ある事実の波及効果まで考えると複数の評価がどちらも正しいということになります。乃木は愚将でもあり名将でもあったんですね。ですからこの本は、歴史のイメージ作りを微調整していく上で大いに参考になるんです。
■時が定める歴史
秦 そもそも歴史の解釈は、ある程度の時間を経ることで次第に落ち着いてくるものです。「史上もっとも偉大な大統領は誰か?」という議論はアメリカ建国以来、延々と繰り返されてきましたが、マウント・ラシュモアの岩壁にワシントン、リンカーンなど四人の大統領が彫刻されて、何となく決まった感じになりました。日本でも、戦後の政治家で吉田茂がトップということはほぼ衆目が一致してきました。しかし、二位、三位となると議論はまだまだ分かれます。
――時間の経過が定める、ということですね。
秦 そうです。一方、『昭和史の怪物たち』は、森恪、久原房之助、宇垣一成という、昭和史を語る際に重要な人物でありながら、時の経過とともに忘れ去られがちな重要人物に改めて焦点を当てたということで、これまた意義があります。
――森恪は政友会代議士でありながら軍部とも密接な関係にあった政治家。久原房之助は財界から政界へ転じて政友会幹部になったものの二・二六事件への関与が取り沙汰された。宇垣一成は陸軍大臣を長く務め、久しく首班候補に擬せられながら首相の大命を固辞せざるをえず、野心を果たせなかった軍人政治家……。
秦 彼らが実際に然るべき地位に就いていたら歴史がどう変化したか、という問題提起が当然起きるわけですが、答えを出すのは難しいんです。当人にすれば、そう言われるだけでもって瞑すべしなんでしょうね(笑)。
今回この二冊を読んで図らずも浮かんできたのは、戦後日本における近現代史は人物不在に近かったということですね。昭和三十年頃に竹山道雄さんたちが、人物不在の近代史では困る、と異議を呈したことがあります。戦後の教科書もそうです。歴史のなかにおける人物の存在感が乏しい事情は今も変わりません。
しかし実際の歴史を作るのは人間なのです。彼らが織りなす綾によって歴史は動き変化していくというが、ようやく最近になって見直されていると思います。
――その意味で、もっと注目されて然るべき人物というと、他にどんな人たちが挙げられますか?
秦 これは難しい(笑)。死ぬ前にもっと然るべき地位を与えていたらとか、途半ばで若くして非業の死を遂げた人物が余生を全うしていたら、という仮説はいくつも立てられますがねぇ。
ただ総じて、戦前の日本は官僚集団によって形作られた社会です。官僚というのは無名性、中立性を本旨とするわけですから、首相クラスの政治家でも、官僚組織から選ばれてきた点で性格の弱さ、ひ弱さを感じざるをえません。
石原莞爾にしても、最後まで組織の枠を抜け出ることができませんでした。その意味では、彼も組織人なんです。森恪に例外的な個性の強さを感じるのは官僚歴が皆無のゆえかもしれません。
戦後の日本は自由な社会となり、その中に生きているものですから、戦前期日本の組織人に対して理解が及びにくいし、評価も厳しくなりがちです。反面、自由奔放に生きたアウトロー的な人間には羨望の念を抱き、過大評価しがちですが、彼らは初志貫徹する前に挫折したり、歴史の表舞台から消えてしまったりしている。人物と関連づけての歴史評価はそのバランスが難しいのです。わたしは「美談の行く末」というジャンルに興味があって調べているんですが、主人公の晩年の姿が分かったときにがっかりして、知らなきゃよかったと思うこともあります。 |
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