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女性はみんな心の中に夜叉を飼っている(大沢在昌)
――こんど刊行なさる『魔女の笑窪(えくぼ)』は、九八年から〇五年まで「オール讀物」で連載された作品です。主人公は女性。裏社会に生きる、三十代後半の女という設定です。
大沢 ここ十年程、新聞、週刊誌、月刊誌連載を並行して進めていて、イレギュラーな連載はまず入れられない状況でした。そこに強引に割り込んできたのが「オール讀物」と「小説現代」のふたつのシリーズで、「小説現代」のシリーズが一段落した途端、「年二本にしましょう」と「オール」編集部に押し切られて、〇四―〇五年でまとめて終わりまで書かされました。「辛いからイヤッ、人でなしっ」て言ったのに(笑)。そんな物理的な理由で七年がかりとなったシリーズです。
 女性が主人公の話はこれまでも書いていますが、いずれも三人称で、ヒロインが警察官であるなど表側の人間でした。女性のハードボイルドで、一人称、しかも裏社会の住人という設定は、この作品が初めてです。女性の視点から性風俗の話を書くのは、変な話、お客さんになったことはあるけど(笑)、仕事をしたことはないわけで、書けるのか? と、男の作家としてはチャレンジングな話になりましたね。

――第一話が、風俗嬢を殺した男を追跡する話です。その手がかりが、男の精液の味、“鉄味(てつあじ)”。いきなり精液の話ですからね。
大沢 はい。“キシキシ”というのも出てきますが、これは口をゆすいでも歯の裏にこびりついてとれない精液のタイプ。これに当たると風俗の女性たちはすごく嫌な思いをする、という話を聞いたことがあって、それで何か書けるかなと、一作だけのつもりで「魔女の笑窪」を書いた。これが、文藝春秋の女性編集者になぜか異常に受けまして。「鉄味、すごくよかったです〜(=続きをぜひ書いてください)」と、俺の顔を見ると言うんです。ちょっと反応に困りました。ただ、何千人という男と寝てきたことによって男の中身が外から見えるようになったヒロイン、水原のキャラクター作りに興味がわいて、もっと書こうと。
――水原は、「島(地獄)」から抜けることに成功したただひとりの女。その島は、全体が売春窟になっていて、かつて水原はそこで働いていた……。
大沢 地獄を抜けて、さんざん悪いことをしながらも、裏社会で暴力団にも中国マフィアにも一目置かれる立場を築き上げた女。したたかで、「男は損な生きものだ。だが損をしていると感じないのが、たぶん男の才能なのだろう」なんて言い切ってしまう。一人称であるがゆえに言い切れるせりふで、書いていて爽快感がありましたね。男としてはマゾヒスティックな感じで(笑)。俺たち男はモテてたつもりだったけど、ただの道具だったんだ! そうだったんだーと、違う世界に目が開かれているうちに、水原のハードさがエスカレートして、醒めた女の視点からの“性愛の哲学”が次々と繰り出される。「男は阿呆だ」なんて独白を書いているとね、女になりきった感じで、爽快なんですよ。「こんな女いないだろう」と思いながらも、ヒロイン像を作っていくのは、けっこう楽しかった。
――政治家専門のコールガールの話、十年後を美のピークに設定して顔にメスを入れる美容整形の話などを組み込みながら、裏社会のヒロインの心情を「私(あたし)」の視点で書く。頭の中の、どういう回路から女性のことが書けていくわけですか。
大沢 何だろうなあ。男のハードボイルド作家が女性を主人公に書くと、性別が女なだけじゃないか、というのを書きがちで、それではつまらない。どうせ書くなら「女性の生理」にまで踏み込みたい。オバサンと言われてカチーンと頭にくるとか、凄絶にいい男のジゴロがいたら「一晩だけ私につきあって」と頼み込んで買っちゃうような生理を、女性になりきって書く快感ですね。ずっと支えになっていたのは、文春の女性編集者から「このシリーズをすごく楽しみにしています〜」「新作が出るとみんなで奪い合って読んでいます〜」と言われることで(笑)、俺のナンチャッテ女性もそんなに的はずれじゃないのかなぁー、と乗せられて。どうでしたか? って逆に女性に聞きたいくらい。
――そうですね。「理で私は動かない。女だから。あなたが嘘をついた、その一点で、あなたとは組むことができない」なんて、言ってくれますねえ、というところがいくつもあって、どうして書けちゃうんだろう、と不思議でした。以前、ある女性編集者が『天使の牙』(九五年)が一番好きだと言っていましたが、つまり、大沢さんが女性を主人公にして書く小説を、女性が支持するわけですね。
大沢 『天使の牙』のアスカはけなげなヒロインだったけれど、今回は逆ですからね。これ以上のすれっからしはいないだろう、という女性。実は男が踏み込んじゃいけない領域を書いてしまったかもしれない。「あんた、女が嫌いなの? 一切、幻想を抱いてないの?」と聞かれたら、俺はもう女性に対しては幻想の固まりです(笑)。なぜ女を書けるのか? と言われたら、それは声を大きくして言えない取材のたまものかもしれないし(笑)。
 ただ、なりきって書いている感じはありましたけれど、どうしても分からなくて困ったのは唯一、「イミテーション・ダイヤ」の回でヒロインが最高のジゴロを買って、一晩を過ごす際の具体的な行為の描写です。こんな海千山千のヒロインがとろけるようなセックスってどんな感じなんだろうと、これだけは分からなかった。すごく悩んだ(笑)。だからそこだけサラッと書いてしまいました。


男は情念を維持できない

――男性にも個性があるように、女性にも個性があるから、ひとりのキャラクターを書こうとする場合は男でも女でも大きな違いはない、という意見もありますね。
大沢 うーん、その通りなんだけれど、実は一人ひとりの個性に重きを置いて、男女に違いがないという考えに立っちゃうと、性差で読ませる面白さを出しにくくなっちゃうんですよ。主人公が女性であることにこだわりを持って書く。個性を出していくのは次の段階ですね。水原というキャラクターで言えば、救いのない地獄を経験したのに、とことん生き抜くためのバイタリティーを強烈に持っている。やっぱり女性は強いな、勝てないな、と思う俺の女性への畏怖心が、このキャラクターを具体化させたような気がしますね。
――確かに、『天使の牙』のアスカに比べると、けなげでも何でもなくて、怖いぐらいの情念がこの小説にはありますね。女の情念は、男の情念とは違うんですか?
大沢 男にも情念はありますよ。あるけれど、男の情念って擦り切れちゃうんですよ。〇五年、町田市で男子高生による女子高生殺しが起きましたが、あれは情念です。可愛さ余って憎さ百倍になって殺すのは、情念以外の何物でもない。でも、十代の頃は情念があっても、実社会に出ると、男は一番仕事、二番恋愛という順になり、情念を維持できなくなる。ところが女性は、仕事と男女の問題に優劣がなくて、平気で仕事の上位に恋愛を持ってくることができる。女性には仕事と恋愛とを量る天秤がない。情念を持ったまま仕事ができちゃう。
――なるほど。
大沢 そんな……、女性に「なるほど」とか言われても困るんだけど(笑)。
――いろいろ個人差はあるかもしれないですね。それでは大沢さん自身は、女性に対して畏怖心とか、恐怖心とかをお持ちで。
大沢 恐怖じゃないなあ。でも、怖いもの見たさはあるかもしれない。どんな女性でも心の中に夜叉を飼っている、と俺は思います。その夜叉が大きそうな女性に惹かれるところがありますね。「外面似(げめんじ)菩薩、内心如夜叉(ないしんにょやしゃ)」と言いますし。どうせ夜叉なら、最初から怖そうな女性の方がいいな。こいつこそ本当の天使だと思った次の瞬間、やっぱり悪魔だったと分かったときのショックって大きいから。「女性はすべて魔女」と言ったら怒られそうですが、魔女であるがゆえの女性の奥行き、面白さはすごくあると思います。
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