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――今回の『ニッポン泥棒』では、大沢さんは初めてネット社会を題材に取り上げましたが、その構想はどこから生まれたものなのでしょうか?
大沢 一つにはおそらく、コンピュータというもの、あるいはインターネットというものについて、ほとんど知識のない人間を主人公にしてネットの世界における陰謀を書こうとしたら、いまがぎりぎりかなと思ったからです。例えばあと五年経ったら、コンピュータの扱いを知らないというのはあり得ないだろうと。少なくともいま現在、コンピュータでインターネットにアクセスして何かをしたことがない人は、まだたくさんいるわけです。それがどんどん減っていくわけですから、そういう人がまだ残っているうちに書きたいなと。同時にインターネットという仕組みの中で、宝探しのような話を前々からやりたいと思っていました。
――最初に強烈なメッセージとして飛び込んできたのは、主人公の尾津が言う「日本はズタボロだ」というセリフですが、いまの日本に対する大沢さんの怒りみたいなものを感じました。
大沢 そんな(笑)。小説で世を正そうなんて大それたことは何も思ってないのですが、ただ便利になることと引き換えに失うものは必ずあるわけです。なかでもインターネットという最新の技術、そういうものを物語の一つの核として一方に置いたときに、反対側に何があるのかを考えれば、変化、それも悪い意味での変化を対比としてもってくることになるだろうなと。主人公の年齢設定は、当然、仕事でコンピュータを使わなかった時代の人間。イラク戦争のときによくヒューミントという言葉が使われました。情報の中には、人間の力でしか手に入れられないものがある。かつてビジネスにおいては、人対人で情報を仕入れてきて、極端にいえば儲け話を見つけてきたという状況があった。
おそらく主人公の尾津という人間はまさにその中核で、エコノミックアニマルといわれ、日本を豊かにしようとバリバリ働いた世代。逆にいえば、それ故に、いまのインターネット社会とは縁のないところで仕事の第一線を去っていった男。そういう彼が主人公として、ネット社会の陰謀という物語に関わったときに、いまの日本をどうとらえるのだろうかと。日本の社会で中心からはずされていることへの怒り、不満も含めて、日本に絶望している気持ちをもつだろうなということですね。いまの社会は一言でいえば人心が荒廃しているという状況がある。そこに彼は怒りを抱くわけですが、それと同時に自分にも責任があるのではないかと考えるわけです。
――いままでの社会をつくってきた責任ですね。
大沢 ええ。そこに、全く価値観の違う女性を登場させたときに、お互いは理解しあえるのか。本来ならば理解できずに終わる。しかし今回は彼らがソフト解凍の「鍵」にされたことで、否(いや)が応でもお互いの価値観がぶつからざるを得ないというか、そういうものも書きたかった。
――ネットにおける人間関係と、実生活におけるフェース・トゥ・フェースの関係の対比をこの作品ですごく感じました。
大沢 ネットが悪者視される最大の理由は匿名性の部分だと思います。匿名性の部分があるから内部告発もできるけれども、一方でいうと、責任の所在を追及されないのをいいことに、いろんな話が横行して、それに眉をひそめる人もたくさんいるわけです。僕自身もどちらかというと匿名性に対しては批判的な立場をとりますが、一方で、匿名性が保証されない限り、できないことがあるのも事実だとは思う。ただ、ネットにおける匿名性があたり前であるという環境が増えてきて、もの心がついたときにはネット環境が充実していて、ネットで常に匿名で行動する人間たちが、実生活でもそういう形でしか人とコミュニケーションをとれなくなるということへの不安はありますね。
――主人公は幼少期に戦争体験をしています。その世代の人たちが戦後日本の高度経済成長を支えてきたわけですが、その人たちへの尊敬の念をこの小説では感じたのですが。
大沢 まあ敗戦ですよね、敗戦と九〇年代のバブル崩壊。どちらも負けなんですけど、この二つを対比して置いているわけなんです。太平洋戦争での敗戦は日本人の大半が貧しくなり、家財を失い、価値観がグラッとゆらぐ。ところがバブルの敗戦は生き延びた人もいるわけですね。勝ち組になっている人もいる。もちろん負け組になった人もいる。現在は負け組をあざ笑う傾向があるけども。みんな踊らされて愚かだったと。土地こそすべてだと思って銀行から金を借りてパンクしたと。小はゴルフ場の会員権を紙屑にした人から、大は何十億、何百億という借金を背負った人に至るまで、笑う傾向があるけども、それって何か違うんじゃないかなと思うわけですよね。 |
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