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〈レポート〉ダイマッコウの深海へ!(藤崎慎吾)
 太平洋マリアナ海域でアメリカ海軍の攻撃型原潜が何者かに襲われ、小笠原海域の水深四〇〇〇メートルでは、新種らしきクジラの骨が盗まれた。深海に忍び寄る不穏な気配。長年、幻のクジラ「ダイマッコウ」を追い求めてきたアル中の鯨類学者は、米バイオ企業の依頼によりマリアナ海域へ。米海軍も海底基地での調査に乗りだすのだが……。
 神秘的な深海で繰り広げられる、息もつかせぬ展開の『鯨の王』。壮大な海洋エンターテインメントを描いた著者が、水深一五〇〇メートルの深海へ、実際に潜航した。
 
 私は二〇〇三年に共著で『深海のパイロット』(光文社新書)というノンフィクションを出版し、宇宙にも匹敵するフロンティアで活躍する人々の現場を紹介した。
 水深何千メートルもの海底へ潜航できる潜水調査船のパイロットや整備士、管制員、司令(運航責任者)、母船の船長、また飽和潜水という特殊な方法で潜るダイバーなど、それまであまり知られていなかったプロフェッショナルたちに会ってインタビューを重ねた。そして自分も潜水調査船の母船に乗せてもらい、実際に「しんかい6500」が潜航する場面を目撃した。
 そのように綿密な取材を行ったかいもあって、同書は好評を得た。そして内容に関連した講演の依頼なども、ちらほら舞いこむようになった。しかし、そうした依頼の全てをありがたく受けて、様々な人の前で話をしているうちに、私はどことなく後ろめたいような気持を抱くようになった。あるいは忸怩(じくじ)たる思いというべきか――。
 同書の中では、潜水調査船のパイロットが深海で見聞きし、体験したことを、特に詳しく紹介している。それを講演会などでも話すわけだが、要するにそれは人から聞いたことを右から左へ受け渡しているに過ぎない。だったら本人から直接、語ってもらったほうがいいのではないか。自分が体験してもいないことを、なぜ高いところから偉そうにしゃべっているのだろう?
 
 似たような後ろめたさは、二〇〇五年刊の長編『ハイドゥナン』(早川書房)でも大なり小なり抱いていた。深海が重要な舞台となっている同作品には、当然のことながら『深海のパイロット』で身に着けた知識がふんだんに詰めこまれている。もっと率直に言ってしまえば、『深海のパイロット』を出した理由の三割くらいは同作品を書くためだった。
 つまり『深海のパイロット』と『ハイドゥナン』は、ある意味で表裏一体なのである。その企ては、おおむね成功した。ノンフィクションを書くために見た大量の写真や映像、実際に深海へ行ってきた人から聞いた話、そして自分が母船から観察した現場、それらを立体的に再構成して広大な海中世界を、ほぼ満足のいくように描けたからである。
 それでも忸怩たる思いは残った。なぜなら母船の取材から得たものを除いて、全ては借り物だからである。もちろん想像力で膨らませたり、自分なりの演出や味付けをした部分は多い。だが、それは土台となる他人の経験があってのことだ。
 もちろん小説なのだから、それでいいのだとは思う。行ったことのない場所でも想像力を駆使して描くのが小説家の腕の見せどころじゃないのか、と言われたこともある。それもその通りだ。また現実問題として小説に描いたことを全て体験している、というのは私小説でないかぎりは通常ありえない。『ハイドゥナン』でも資料と想像に頼ったのは、何も深海に限った話ではなかった。
 要するに海――特に「深海」というのが、私にとっては非常に特別な場所なのだろう。だから気になるのだ。
 
 思えば「しんかい6500」を擁する独立行政法人海洋研究開発機構(旧海洋科学技術センター)に初めて足を運んだのは一五年以上も前で、私は科学雑誌の編集者だった。それ以来、深海に関する記事は何本も担当したし、映像制作会社に転職してからは『深海生物の世界』(日経映像)というCD―ROMをつくったりもした。同機構からの委託で教育啓蒙用のソフトを制作したこともある。
 作家になってからも、機会を見つけては足しげく同機構に通い続けた。その過程で自分も職員の一人になったような錯覚を抱いてしまったのかもしれない。一般の人にとっては深海も宇宙と同じくらい遠い世界であろう。しかし幸か不幸か、私には分不相応ながらも身近な世界であった。
 もし『深海のパイロット』や『ハイドゥナン』が主に宇宙を舞台にしたノンフィクションや小説であったなら、後ろめたさや忸怩たる思いを抱いたりすることはなかったはずだ。現時点での感覚として、自分や周囲の人が生きているうちに宇宙へ行けるとは思えないからである。誰だって知識と想像に頼らざるをえない。
 だが深海はちがう。それは手を伸ばせば触れられる、その指一本先くらいにあった。すでに新聞社の編集委員クラスや名前の知られたジャーナリストなどが、普及広報的な意味合いで潜航させてもらった前例もある。であれば自分だけが行かずに、人の話の受け売りをしているのはおかしい。
『深海のパイロット』にからむ講演を重ねながら、そんな大それた思いを抱くようになった。一度、思いこんだら、それを実行に移さなければ気の済まない性格である。
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