デュマ家三代の共通点
――『黒い悪魔』の連載を開始された時から八年がかりのお仕事になりましたが、そもそもデュマ一族のことを書こうと思われたきっかけはなんだったのですか。
佐藤 最初は僕が最も影響をうけた作家の一人である、デュマ・ペールの生涯を書きたいと思ったのです。ところが調べていくうちに、父親の存在がとても大きいことがわかりました。さらに息子のデュマ・フィスもまた彼の影響を強くうけている。これはデュマ家三代の物語として書いたほうが、新しいデュマ像を浮び上がらせることができるのではないかと思ったのです。
書き終えて感じたのは、デュマ家三代の生き様がこの時代のフランスの変化を象徴しているということです。革命という動乱の時代に将軍として活躍した初代は、彼自身が歴史の主人公でした。王政復古から七月革命にかけてのまだ世の中が騒がしい時代に生きた二代目は、擬似歴史小説といえる大風呂敷をひろげた冒険小説で名声を得ます。そして政変はあってもブルジョアが支配権を握った安定した社会に生まれた三代目は、私小説的な人間の内面に焦点をあてた作品を書いた。僕は小説や文学はどこから生まれるのかということにとても関心があるのですが、この三代の繋がりをみると、文学的な変化が見事にみてとれて興味深かったですね。
――そうした個性の違いはあっても、またそれぞれ生きた時代が違っても、デュマ家の三代はともに大きな成功をおさめています。もちろん才能はあったにせよ、その原動力はどこからきているのでしょうか。
佐藤 十八世紀末から十九世紀にかけてのフランスでは、いわゆる近代社会が成立しました。そういう時代にあって、デュマ将軍は革命という新たな近代社会を建設する原理のなかで台頭してきたわけですし、ペールとフィスの親子は文明社会の申し子というべき作家という職業で成功を収めました。彼らは、いわば近代文明の恩恵に浴しているわけです。ところが彼ら三人は三人とも、もっと原始的なエネルギーの持ち主だったような気もします。いつの時代も変わらない、ある種の生命力のようなものを、強く感じてしまうわけです。それが血脈として、三代にわたって脈々と流れていたのではないかと。
――それは彼らがアウトサイダーであったということと関係してくるのでしょうか。
佐藤 まさにその通りで、彼らは社会の中心から現われるのではなく、常にアンチテーゼとして台頭しました。デュマ将軍は従来の貴族社会に対抗し、頭角を現わしてからはナポレオンのアンチテーゼでありました。デュマ・ペールには、ユゴーという幼い頃から神童と呼ばれた巨大なライバルがいました。デュマ・フィスは近代的な戸籍が整備された社会で私生児として日陰の存在であったことを終生ひきずっていた。そうした反発力が三人に共通して感じられますね。
――現在、フランスにおいてデュマ一族はどのような存在なのでしょうか。
佐藤 意外かもしれませんが、デュマ・フィスは日本人が想像するよりずっと認められています。レジオン・ドヌールという最高の勲章を受けていますし、フランス・アカデミーの会員にも選ばれ、文化人として最高の地位に登っているのです。微妙だったのがデュマ将軍とデュマ・ペールですが、こちらも再評価が進んでいます。デュマ・ペールは二〇〇二年、生誕二百周年にあたる年に、ようやくパンテオンに遺灰が移されました。その時シラク大統領が、彼のような偉大な作家が故郷にひっそりと葬られていたのは、当時のフランス人の差別意識が関係していなかったとはいえないという声明を出しています。二百年の時を経てようやく国の中枢におかれるようになったわけです。デュマ将軍も従来は異端児であり、デュマ・ペールの父親としてしか評価されなかったわけですが、革命のなかで台頭した有色人種の将校は彼だけでなかったという研究が進んで、そうした人たちを代表する存在として、また革命のなかで人権や民主主義の思想がどの程度拡がっていたのかの象徴として認められるようになってきました。
デュマ家三代を書いていて痛感したのは、この時代でなければ彼らの活躍はありえなかっただろうということです。もちろん彼ら自身のエネルギーも巨大だったとは思うのですが、それが時代とマッチしたからこそ、あれだけ大きな業績を残すことができたのだと思います。デュマ・フィスを最後にデュマ家は歴史の表舞台から消えてしまいますが、それもまた必然であったのかなと思います。
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