――日本料理の中で、京料理とはどんな特徴があるものでしょうか。
西 お寺の精進料理、茶事の料理、庶民のおばんざいなどが基盤にあるものだと思います。京都は海から遠く離れた内陸地ですから、昔は海の物は新鮮な状態で手に入れることができず、さまざまな形で保存して料理に利用しました。身欠きにしん、棒だら、一塩をして運んだ若狭のぐじ(甘鯛)、かれい、さば。生のままでは運ぶことのできなかった地の利の悪さを、逆に人々の知恵で独特の料理文化に育て上げたわけです。その中で、鱧(はも)は唯一生きたまま京都へ届く生命力の強かった魚だといわれます。京の鱧文化はそこから生まれました。
それから、京料理は豊かな野菜によって成り立っているともいえますね。いまや「京野菜」として全国に知られるようになりましたが、その種類の多さからも、京の野菜がいかに大事に育てられ、使われてきたかがわかると思います。九条のねぎ、賀茂の茄子(なす)、聖護院のかぶ、壬生の壬生菜……。京の狭い地域の中で、それぞれの気候や土質が独特の形や味を生み出し、それが京料理の滋味を醸(かも)し出してきたのだと思います。
――「京味」で使われる素材は、ほとんどが京都や関西一円から届けられていますね。
西 やはり、うちの店の基本は「京の味」ですから。魚屋さんにしても、八百屋さんにしても、京都での修業時代以来の長いおつきあいです。明石の鯛、瀬戸内の鱧、若狭のぐじ、丹波の松茸にしめじ、そして京野菜の数々……。「京味」の料理は、こうした誇るべき素晴らしい素材あってのものです。
――ところで、お父さまの西 音松さんは、政治家で大の食通でもあった西園寺公望(きんもち)公のお抱え料理人を務めたこともある名料理人でいらっしゃった。本の中では、お父さまから教わった料理とともに、西さんの目を通した「父・西 音松」の人間像が随所で語られています。職人の中の職人でいらしたようですね。
西 親父は私に輪をかけて、料理一筋の人でした。私が若い頃は親父のもとで働くこともなく、言葉を交わしたことさえほとんどありませんでしたが、晩年の十二年間はこの店で月の半分を過ごしてくれて、そこで初めて料理の真髄を学ばせてもらった気がします。具体的な調理技術だけでなく、料理人としての姿勢、心構えを教わったことが、その後の私の料理人生に光を与えてくれました。
――音松さんには名語録がたくさんありますね。
西 親父は諭(さと)すように言うのではなく、何かの拍子に、それこそ独りごとのようにボソッと言う。でも、どれもが核心を突いていて、そうした言葉に私など何度ハッとしたことか。
「変わったもんと美味いもんとは違う」
「いま、目の前にあるもんで作るのが料理人や」
「これでいいちゅうのはひとつもない。それをいうのは死ぬ時や」
今は、私が若い者に言うてますけど、それは自分自身への戒めでもある。ひとつひとつの言葉を自分で噛(か)みしめながら言うてますよ。料理人という仕事は、いちばんいい時季の、最高に味ののった素材を見極めて、手を加えることで本来の美味しさ以上のものに引き上げること。手のかけ方いかんで同じ素材がよくもなれば、悪くもなるもんです。より美味しく、より奥のある味を引き出すために、何をどうするのがよいのか考えなければいいものはできません。親父の言うてたように、まさに死ぬまで勉強です。
(『「京味」の十二か月』平岩弓枝・西健一郎共著・発売中)