著者インタビュー 『月と蟹』の舞台を歩く

道尾秀介


一作ごと新たな試みに挑み軽々と超えてみせる俊英の最新長篇『月と蟹』。執筆にあたり初めて取材旅行をしたという道尾さんとともに舞台となる鎌倉を再訪。古寺や海辺を歩きつつ、創作について伺った。

――道尾さんが取材に来られたのはいつ頃ですか?

道尾 連載が始まったのが二〇〇九年の九月だからその年の春、鎌倉まつりに合わせて来たので四月ですね。自分で車を運転してきて、長谷寺近くに宿をとった憶えがあります。取材はいつも一人で行きます。お寺や海を見るにしてもその場所にいること自体よりも前後の移動時間とか一日終わってお酒を飲んだりする時間のほうが大事だったりするので、そこで同行者と盛り上がってしまうと意味がないんです。

――父を亡くし母と祖父と暮らす慎一が、春也と始めた「ヤドカミ様」遊び。ヤドカリを神様に見立て願い事を託す儀式に母のない少女・鳴海(なるみ)が加わり、やがてそれぞれにやり場のない心を抱えた子供たちの願いは切実なものへと変質してゆき……という物語はどのように生まれたのでしょう。

道尾 以前から「道尾秀介の書く子供が読みたい」と編集者に言われていて、子供を主人公にすることは決めていたんです。あとは海を舞台にしたいなと思ったときに、海で子供といえばヤドカリ、磯遊び……。僕にとって岩場のある海というと葉山のあたりのイメージなんです。それならせっかく鎌倉が近いんだから舞台に入れようと思って資料を調べたら、鎌倉まつりなんて行ったことがないし、静の舞というものがあるのも初めて知って「ああ、これは使えるかもしれないな」と。取材前の段階で使い方がしっかり決まってるわけではないけど、アイテムが揃った時点で、実際に見れば何かが出てくるだろうと感じる瞬間があるんです。

建長寺

頭で考えていても出てこない場面に出会った

日本最初の禅寺として名高い建長寺。境内奥にある半僧坊を過ぎてさらに細くて急な山道を登ってゆくと十王岩にたどり着く。

道尾 建長寺も来たことはあったけど、資料調べの一環でマイナーな本を読んでいるなかに、寺の裏山にある「十王岩」というのが出てきて興味を惹かれたんです。

石でできた鳥居の先に急な階段が見え、立て札によると半僧坊というのはその上にあるらしい。子供だけで歩いているのが珍しいのか、頭にタオルを巻いて竹箒(たけぼうき)を使っていた老人が、しょぼしょぼと濡れた目を上げて慎一たちを眺めた。(第一章 41ページより)

道尾 取材の頃はこの辺りに桜が咲いていて、道の脇の草むらで作務衣のおじいさんが一人黙々と鎌を使っているのが印象的でした。それで慎一と春也にも同じものを見てもらうことにした。こういう部分は来てみないと思いつかないことだなと思います。まる二日この界隈(かいわい)にいて、出来事や目にするものは無数にあっても、作中に使うのはこんなちょっとしたことくらい。だけど肌で感じたことは書くときに確実に刺激になるし、空気にふれるとふれないとでは全然違う。

――物語をつくるための取材というよりは仕上げに向けて空気を吸収するという感覚なのでしょうか。

道尾 慎一と春也と鳴海がいてそれぞれに抱えた事情があって、ヤドカリを使って……というような物語の大枠は、取材時には出来ていました。その上で、たとえばこの建長寺の法堂でお腹のへこんだ釈迦苦行像を見たときに「お釈迦様は自分の意思で断食をしているけれど、たとえば子供が強いられてこんな状態になったらどれだけ辛いだろう」と思ったことが春也の境遇へとつながったりというようなことはあります。自然や風景の描写でも、頭で考えているだけでは出てこない、視覚や聴覚や色んなところからつついてもらって初めて自分の中から出てくる言葉ってあるんですよね。
 去年来たときは慎一たちと同じように十王岩まで登ったんですけど、延々と細い山道で結構きついんですよ。今日は半僧坊までで止めておきませんか(笑)。

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