重松 清×天童荒太 特別対談「命をめぐる話」

その日のまえに』や『きみ去りしのち』など、死にゆく者、遺された者の物語を描いてきた重松さん。

悼む人』、『静人日記』など、悼みという行為を通じて、生と死の意味を問うてきた天童さん。

二人の作家が、静かに語り合った――。

第二回:物語から歴史へ(1/3)

天童

『静人日記』で二百近い死を書いたんですが、敬愛しているある作家の方に「この素材一つ一つで、十分小説が書けるんだから、こんなことはもうやめなさい」と忠告されたんです(笑)。

重松

それでも、一冊の本にまとめ上げた。どうしてだったんですか。

天童

その方の言葉で吹っきれたところもあって、よし、日記の形で静人の内面や悼みのことを書くのはこれで最後にしようと決めて、言葉は荒いのですが、注ぎ込んでしまおう、というんでしょうか。いまの自分が表現者として描ける生と死を、ここでいったんすべて出しきり、誰かにとってかけがえのない人が、日々こんなにも大勢亡くなっているんだということを、読者と共有したいと思ったんです。それで枯れてしまったなら枯れるだけの作家ですから(笑)。思いついた生と死の物語の核、そのカルピスの原液みたいなものをどんどん注ぎ込んで、そこから読者に個々の経験にもとづいた物語をふくらませてもらえればと思って。

重松

今、原液を水で割っていくのが読者であるとおっしゃったけど、まさにそうですね。一人ひとりの死が原液として僕の中に入り込んできて苦しくなって、何度も立ち止まりました。でもどうなるんだろうと思って、ページをめくっていったのです。
この『静人日記』って『悼む人』のプレストーリーであると同時に、物語の原型だと思います。僕たちにとって最も身近で、かつ原初にある物語というのは、死んだ人のことを「おまえのお父さんはこんなに勇敢で、こんなふうに死んでいったんだよ」と語ることだったんじゃないでしょうか。
人はなぜ死んだ人のことを語ろうとするんでしょうね。もっといえば、思い出を偲(しの)ぼうとするのか。天童さんはこのことを、相当意識されていたんじゃないですか。

天童

ええ、その通りです。『悼む人』の前提にあったのは、亡くなった人を葬るのではなく、覚えておくということの意識づけですね。
亡くなった人を忘れたり、時に思い出したりするということは、日々の生活の自然なありようではありますが、この現代の世界観の中で、あえて“覚えておく”ということを投げかけたかった。さっきも言いましたけど、静人みたいな奴がいたら、出会った人は相当ウザいじゃないですか。「悼ませてください」といきなり訪ねてくるなんて、人々の平穏を破りますからね。でもそこに生じた波紋や、立った波風のなかに、いまとらえ直すべき生と死の問題の要ていがあると感じていたんです。

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