いま、アジアのミステリーに何が起きているのか 島田荘司

日本・台湾・欧米の出版事情

島田

日本のミステリー界についてはどう思いますか? 最近ローラン・ラクーブというフランスの評論家が、「ミステリーは非常にクリエイティブな感覚をもってスタートするが、次第に他人の達成をコピーしあったり、発生した定型に寄りかかったりして平凡になっていく。こうした状況が進むと、いまいましいことに、リアルな警察小説のほうが上位だと言う人々が現れる」と言っていて、フランスの状況も日本と似ているんだなと思ったのですが。

寵物

日本ではミステリーが大衆文学の中で大きな位置を占めているし、マーケットも大きいため、日本の作品だけでなく、海外の作品も数多く翻訳出版されて、それが日本の読者や創作者の栄養として蓄積されています。一方、欧米では英語圏の膨大な作品は読めるけれど、それ以外の地域の作品を知る機会がないとも言えるのではないでしょうか。

島田

その通りです。アメリカは本屋自体少ないし、ドイツやフランス、日本の作家のミステリーなど、ほとんど見当たらない。アメリカの中だけで作家がまかなわれています。また、あまりにもハリウッドが強力なため、アメリカの作家は映画の原作しか書かなくなっている。とても偏っていますね。

寵物

日本では昔の作品をよく復刊しますが、アメリカでは、古典といえばコナン・ドイルとクリスティーぐらいで、昔の作品はなかなか読めないでしょう。

島田

私はレイモンド・チャンドラーが大好きで、彼が晩年を過ごしたアメリカのラ・ホヤという町を訪ねたおり、ラ・ホヤのデニーズで「チャンドラーの家を知っているか」と訊いたのですが、「それは誰だ?」と言われました(笑)。彼らはヴァンダインも知りません。ポー以外の多くのミステリー界の巨人たちは、もう忘れられてしまっているのが現状です。

寵物

台湾でも絶版になった作品は消えてしまうので、日本のように、復刻版などが頻繁に刊行される状況はうらやましい限りです。

島田

日本が過去の作家の作品や海外作品をたくさん出版できるのは、委託販売という制度の恩恵かもしれませんね。あとはたぶん、編集者にチャンドラーなど、昔の作家の熱烈なファンがいるからではないでしょうか(笑)。

寵物

日本のミステリー界には流れがあって、頻繁にではないけれど、ある時期が来ると方向転換しますよね。ラクーブの言うような、他人の成功をコピーしたような作品が続けば、必ず誰かが反発して別なことをやろうとする。同じ新本格と言っても細かく枝分かれしていて、流行の中に身を置きながらも、作家それぞれが違う切り口を探し求めているところがいいと思います。そうした流れの古い作品から最新のものまで、すべてが書店に並び、好きな作品を選んで読めるわけですから、日本の読者は幸せだと思いますよ。

島田

確かに、江戸川乱歩のあとに松本清張が現れ、その後私や綾辻さんたちが出てきた。流行と反発がくり返され、そのほとんどの作品を今も読めるというのは、日本のミステリー界の美点であり、特徴かもしれません。

台湾ミステリーの現状

島田

台湾のミステリー界は今、どんな状況ですか?

寵物

以前は社会派のものが多かったのですが、海外の作品が次々に翻訳され、二〇〇四年頃から既晴や藍霄(ランシャオ)などといった作家たちが本格ミステリーを熱く語り、創作するようになったので、現在の創作者の比率から見ると、本格ミステリーが一番多いと思います。もっとも台湾推理作家協会の会員は十七名で、実作者はその半分くらい、それも他に仕事を持っている人ばかりですが。

島田

中国と影響しあうということはありますか?

寵物

影響しあうというよりは、中国の読者が一方的に台湾の本を買うという状況です。中国人にとって台湾の本は高価なのですが、印刷がきれいだし、検閲や削除をされていない本を読みたければ台湾の本を買うしかないので、台湾のホームページなどで、出版物も細かくチェックしているようです。

島田

『占星術殺人事件』が北京で出版された時、発売直後から毎週増刷されるほどよく買われたそうですが、これも、台湾からの情報が事前に入っていたからでしょうね。復旦大学や北京大学で講演した時も、熱狂的に迎えられました。
とはいえ、中国の本格ミステリー界はまだ「館もの」のようなコード型本格が主流で、そういうミステリー系の作家たちも、まだ二十人に満たないと聞きましたが。

寵物

今の中国は、六、七年前の台湾に似ていると思います。台湾でも最初はアメリカや日本から入ってきた本格ミステリーに影響されて、「館もの」から始める創作者が多かったですから。でも中国の読者たちは、コード型本格ミステリー以外にも面白い推理小説があると気づきはじめていると思いますよ。

島田

それでは中国のミステリーファンや創作者は、そう遠くない将来、台湾に追いついてくるということですね。

寵物

本気でミステリーを書きたい人が出てくれば、すぐに追い抜かれるでしょう。何しろ人口がすごいですから(笑)。

島田

確かに台湾二千三百万、中国は十三億四千万人ですからね。その中には必ず天才が潜んでいることでしょう。もちろん、台湾にも天才は必ずいると思いますが……。

寵物

いてほしいものです(笑)。

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島田荘司 Soji Shimada

1948年、広島県生まれ。武蔵野美術大学卒。1981年『占星術殺人事件』でデビュー。
御手洗潔シリーズ、吉敷竹史シリーズなどで数々の傑作をものする。
2009年、日本ミステリー文学大賞を受賞。

『虚擬街頭漂流記』(きょぎがいとうひょうりゅうき) /寵物先生(ミスターぺッツ)ページトップへ