いま、アジアのミステリーに何が起きているのか 島田荘司

アジア本格の時代

しかし黄金時代の直後から、探偵小説の栄光は急速にしぼみ、さしもの英米の才たちも、新世紀の今、このジャンルに新たな発展を加えられずにいる。理由はさまざまにあるが、傑作を誘導するため、ヴァンダインが創作の方向性を制限したことも一因と言わざるを得ない。

ヴァンダインの方法論では、「モルグ街」の一室での不可解な殺人事件は、もっと大きな館の内部で、怪しげな住人たちの監視のもとに行われ、外来の名探偵さえいれば、生真面目な警察官たちが現場に入り込んで微物の収集や、被害者の首の傷を図示したりの必要はなかったかもしれない。しかしそれでは、この文学が科学とともに歩みを始めた新世紀を、構造的に補佐するものではなくなっていく。

アングロサクソンたちに代わってこの文学を継承した者は、地球を西廻りに進んだ地域に暮らす、日本人であった。わが先達はこの新文学に「HONKAKU」という新名称を与え、ヴァンダインとは別角度からの創作提案を行った。すなわちこれを、推理の論理性高を目指す小説群ととらえ、一定水準以上に高度な論理性を有した作例を、「本格」のものと呼んで、讃(たた)えることを始めたのである。

これは今日の視点からは、ヴァンダインの提案を、充分に有効なものとして認めながら、使命は終えたものとして棚上げにし、ポー流の原点に戻ろうとしたものと解すことができる。この提案を容れれば、推理論理を今日型の高度に持ち上げるには、最新科学の情報導入をためらう要はなくなり、英米の探偵小説群のように、これを「モルグ街」時点で凍結して、アンタッチャブルとする必要もなくなった。「モルグ街」とはすなわち、十九世紀の幽霊譚に、当時最新の科学情報を出遭わせることによって、文学の新ジャンルを拓(ひら)いた小説だからである。

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『虚擬街頭漂流記』(きょぎがいとうひょうりゅうき) /寵物先生(ミスターぺッツ)ページトップへ