悪の教典 Lesson of evil

貴志祐介

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蓮実聖司をはじめとする教員たちの紹介ページです。
校内見取り図<Layout>
晨光学院町田高校の校内見取り図です。詳細もあります。

著者インタビュー

蓮実聖司は矯正可能だったか

●群像劇を書く楽しさ

――ファーストシーンのイメージについて、本の話のインタビューでうかがいましたが、その後プロットの柱にしていかれたのはどのあたりでしょうか。

貴志 エンターテイメントなので、プロットを立てるとき最初に考えるのはクライマックスをどこにするかなんですよね。そこを中心に組み立てていかないと、一章一章は面白くても、「えっ、どこがクライマックスだったの?」と拍子抜けして終わってしまう可能性がでてきてしまいます。そうなってしまうと、エンターテイメント作品としては成功しないだろうと思うんです。それさえ決まれば、あとは非情な作業といいますか、技術的な問題なんですね。
今回、一番厄介なのは携帯電話でした。本当に強力なツールですから、何か起こそうと思うと全部携帯が邪魔をするんです。
当然携帯で助けを呼ぶシチュエーションで、それをブロックする方法や理屈を考えださなくてはならない。この長編では、それで集団カンニングみたいな伏線を張ったんです。

――圭介の事件は、下巻の封鎖へと繋がっていたんですね。なるほど。群像劇として生徒を描かれた際のご苦労と楽しさについて伺えますか。

貴志 『悪の教典』は、今まで書いた小説の中でも、登場人物の数が圧倒的に多いんです。一クラス分の生徒に加えて他のクラスの数名、更に教員がたくさん出てきますから。こうなると、あまり重要じゃないキャラクターは、物語の都合によって性格が変わってしまうこともあるので、一人一人の顔をきちんと思い浮かべて、行動原理を想像して、頭の中でブレないようにするのが、わりあい苦労しました。でも大勢でうまく動いてくれると、一人や二人の人物でストーリを動かしているのとはまた違ったダイナミズムが物語に生まれてくるんです。その辺りは書いていて楽しかったですね。基本的に、今まで視点は絞るほうが多かったんですけど、ここではなるべく多視点でやろうと思っていました。いくら群像劇でもあまりに沢山の視点が入ると訳がわからなくなってしまうので、その中の数人ですが、それを混乱しないで書きぬければ、カメラが多いほうが全体の状況が読者にビビッドに伝わるんじゃないかな、と思ったんですね。