「……親っていうのは、休んだりするようなものじゃないだろ」
正論だと思う。少なくとも、自分が間違っているとは思わない。
だが、妻は、「そういうところ」と笑うのだ。「あなた、一所懸命に親をやってるから、たまには休んだほうがいいの」
私にはわからない。
父親として、特に厳しく息子に接してきたとは思わない。それは、まあ、ひとより優れたほうがいいとは願っていた。だが、息子がたとえ「一流」の大学に受からなくたって、それはそれでかまわなかったのだ。
ただ、人並みのことができていれば。
この春、都会で新生活を始めた十八歳が何万人いるかは知らない。そのほとんどが、うまくやっているのだ。都会の暮らしに戸惑いながら、一人暮らしの寂しさを噛みしめながら、がんばっているのだ。それがなぜできない? みんながやっていることが、なぜ、おまえにだけできない?
みんなの上に立て、とやみくもにハッパをかけるのは愚かな父親だということぐらいは、ちゃんとわかっている。
しかし、みんなからこぼれ落ちてしまいそうな息子を叱咤激励するのは、まさしく親の務めではないのか?
私は妻にそう言ったのだ。「俺のどこが間違ってる?」と本気で訊いたのだ。
「間違ってないよ」
妻は小さくうなずいて答え、それから、ゆっくりとかぶりを振ってつづけた。
「でも、間違ってない親よりも、優しい親のほうが必要なときもあるのよ」
屁理屈だ。
「『みんな』っていうのを物差しにするのは、やめない?」
ただの言い訳だ。
それでも、今度も私はなにも言い返せず、ただ黙り込んでしまうだけだった。
*
家族旅行の行き先は、息子のリクエストで沖縄になった。
一泊二日妻は「せっかく沖縄まで行くんだから、もう一泊しない?」と言ったが、そこは私が意地を張り通した。
妻は出発前、『お休み券』を一枚ずつ、私と息子に渡した。息子は照れくさそうに笑ってそれを受け取り、空港から飛行機に乗り込むと、みるみる元気になった。
おまえ、そんなの現実逃避だぞ、どんなにキツくてもしっかり真っ正面から立ち向かわなきゃだめじゃないか。
心の中でぶつくさ言いどおしだった私も、沖縄の海と空を見たとたん、もういいか、なんとかなるか、という気になった。
まだ五月でも、沖縄は夏だ。今日の晴天は梅雨の晴れ間なのだとタクシーの運転手が教えてくれた。
さすがに泳ぐのは遠慮したが、膝まで海に入って、海の冷たさと、たゆたう波の感覚をひさしぶりに味わった。
その程度のことで重く澱んでいた胸の中が、すっきりした。
息子はよくしゃべり、よく笑って、ごはんをびっくりするほどたくさん食べた。
私も小言めいたことはなにも言わず、ビールを飲み、泡盛を啜って、妻と息子のおしゃべりを聞いているうちに眠ってしまった。
*
なんて単純な家族なんだと笑われてしまうだろうかみんな、に。
息子を甘やかしてるだけじゃないかと叱られてしまうだろうかみんな、に。
よけいなお世話だ。
きっぱりと言い返した瞬間、顔の見分けられない「みんな」は、霧が晴れるように消え失せてしまった。
*
帰りの那覇空港で、息子は不意に言った。
「このまま、あっちに帰っていい?」
あっち大学のある都会。
思いがけない一言に私は戸惑うだけだったが、妻は、まるで最初からそうなることを予想していたように笑ってうなずいた。
「じゃあ、チケット変更してきなさいよ」
「……うん」
「ウチに置いてある着替えとかは、あとで宅配便で送ってあげるから」
「……ありがと」
航空券販売のカウンターに向かう息子の背中を、私は唖然としたまま、妻は満足そうに微笑みながら見送った。
「こうして見ると、ほら、背も高いし、けっこう一丁前じゃない、あの子も」
「なあ……最初から、わかってたのか?」
「なんとなくね。さすがに沖縄から直接帰るとは思わなかったけど、『お休み券』を使えばなんとかなるんじゃないかとは思ってた」
「そうか……」
「だって、休んだら動きたくなるのが自然でしょ。中途半端に休むより、しっかり休んだほうがいいのよ」
妻はそう言って、「まじめすぎるオヤジもね」と笑って私の胸を指差した。
*
息子の乗る飛行機は、私たちの便より出発時刻が早かった。
一緒に搭乗ゲートをくぐろうかとも思ったが、ここからは息子の旅だ、と出発ロビーで別れることにした。
妻は息子に『お休み券』の残り二枚を差し出した。
「休みたくなったら、これを使って帰っておいで」
私も、もうなにも言わない。ただ黙って息子を見つめ、目が合うと、大きくうなずいてやった。
息子がゲートの向こうに姿を消すと、私と妻はあらためて目を見交わした。
「……『お休み券』はないけど、もう一泊、するか」
まだ独身だった頃、初めてのデートに誘ったときのように照れながら言うと、妻は「いいんじゃない?」と笑って、私の腕に腕を巻きつけてきた。
歩きだす。ロビーのアナウンスが、息子の乗る飛行機の最終搭乗案内を告げた。