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自著を語る

黒澤明、今だから話そう(田草川弘×野上照代)
たそがわ・ひろし
一九三四年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。NHK記者、AP通信記者、東海大学教授などを経て、フリージャーナリスト。著書に『ニュースキャスター』(中公新書)、訳書に『マロー・ボーイズ』(NHK出版)ほか多数。
のがみ・てるよ
一九二七年東京生まれ。戦後雑誌記者を経て、五〇年黒澤監督の『羅生門』にスクリプターとして参加、以降ほとんどの黒澤作品に関わる。著書に『天気待ち監督・黒澤明とともに』(文春文庫)など。
黒澤監督の嫌いなものは

野上 田草川さんの新刊『黒澤明 vs.ハリウッド』読後の第一印象から申し上げます。とにかく、山ほど黒澤さんに関する本があります、私の名著の『天気待ち』も含めてね(笑)。でも、その中でこれが一番面白い。最高だと思います。五年もかけてお調べになって、苦労されただけのことがあるなと。全部事実で裏打ちされているのがとにかく気持ちがいい。
 それと、エルモ・ウィリアムズ(『トラ・トラ・トラ!』のプロデューサー)という人がよく描かれていて魅力的ですね。黒澤さんの感じもよく出てます。それに加えてハリウッドの大物であるダリル・ザナックがいいでしょう。まるで小説を読むみたいにすらすらと読めました。
 田草川さんは黒澤さんが『トラ・トラ・トラ!』の撮影に入る直前、一九六八年十月の京都以降、黒澤さんとはお会いになっていないのですか。
田草川 ええ。あのときちょっとご挨拶らしいことをして別れて以来、お会いしてないですね。実は僕、その後いくつかの学校でシェイクスピアの講座を持って教えていたんですけど、国際シェイクスピア学会というところで「シェイクスピアと映画」というテーマがあったんです。そのときに、これはやっぱり日本の場合だったらシェイクスピアが原作の『蜘蛛巣城』や『乱』を撮られた黒澤監督だと思いまして、もう一度どうしてもお会いしてお話を聞きたいと、黒澤さんの甥ごさんである井上芳男さんに仲介をお願いしたんです。そしたら、黒澤さんは京都で転ばれた後まだリハビリ中だからもうちょっと待つようにと。でも、そのうちに亡くなられてしまって、晩年は遂にお会いすることができませんでした。
野上 それは残念なことでしたわねえ。この本には契約の話、それから診断書の話が重要な検証テーマとして出てきますね。私も『デルス・ウザーラ』や『乱』のときのことを思い出します。それと、黒澤さんはお金の話をすることがお嫌いなんです。だから、プロデューサーは黒澤作品で金を儲けようとする悪いやつだ、なんて極端なことをおっしゃったりする。でも、ダリルのことは良くおっしゃってましたよ。残念なのは、プロデューサーであるエルモの人となりをご存じなかったこと。
田草川 エルモは非常に誠実な人です。当時からそう思っていましたけど、この間会ってきて、つくづくそう思いました。今年九十三歳。でもたいへんにお元気で、自動車も運転できるんだ、と言っていました。
野上 だから『トラ・トラ・トラ!』で別れてから二十二年後、黒澤さんのアカデミー名誉賞授賞式会場で会ったときにエルモがお祝いの言葉を一言述べようとしたら、黒澤さんはぷいと背中を向けて歩いて行っちゃってたいへん寂しかったというエルモの言葉には、じんときちゃいます。黒澤さんにはたぶん、自分をひどい目にあわせた人物という印象があったのでしょうけど。
田草川 逆に、見込んだときには相手の方に非常に尽くしてしまうんでしょうね。僕から見た黒澤さんは、愛情に飢えていて寂しがり屋という感じがしました。僕の場合は、黒澤監督がわりあいお暇なときの酒のお相手ですから(笑)、特にそういう感じがしたのかもしれません。
野上 この本の中で特におかしかったのは、アメリカ側ユニットの監督であるリチャード・フライシャーが黒澤さんと初めてホノルルで会って食事したときにケチャップをかけたら、すぐに「このケチャップ野郎」と仇名(あだな)するところ。黒澤さんは料理にケチャップかける人はだめなんです。フライシャーについては作品の『ミクロの決死圏』、あれがお嫌いだったでしょ。
田草川 ええ、思い出しても痒くなるって言っておられましたからね。あんまり気持ちのいい映画じゃありませんけど、あれほど嫌わなくてもいい(笑)。しかも、あれを見てからは「ミクロ野郎」ですからね(笑)。
野上 でも、フォックス・サイドでは黒澤さんのことを「ヘルムート」なんて仇名している(笑)。お互いにやりあっていますね。

青柳哲郎というキーパーソン

田草川 一九六五年の『赤ひげ』から七〇年の『どですかでん』までの五年間を、黒澤さんがハリウッドにひどい目にあった時期と理解されている方がたいへん多い。それは非常に大まかに言えば正しい認識だと思いますが、今回、あれは何だったんだろうかというふうに考え調べて、黒澤明監督がハリウッドにひどい目にあったというだけじゃ、これはちょっと割りきれないな、と思っているんです。
野上 つまり、映画製作の方法が日本とアメリカとではまったく違うということの認識が黒澤さんになかったうえに、それを理解させられる人がいなかった。だから、黒澤さん本人は総監督のつもりでいても、契約はそうはなっていなかった。それならばテツちゃん(青柳哲郎プロデューサー)がもっと説明するべきですよ。もともとテツちゃんは、黒澤さんの撮影の仕方なんかまったく知らなかったのですよ。それなのにあの頃の黒澤さんは、「テツが一人で頑張ってるよ」なんて、もうメロメロに気に入っていた。だけど、テツちゃんもある意味じゃ大変だったと思いますよ。黒澤家にお金がないときですからね。田草川さんはテツちゃんとはお会いになってるんでしょう?
田草川 ええ、何回もね。正月には毎年テツちゃんの自宅に行って酒飲んでた時代もあったんです。この本の企画が立ち上がってからも彼に、これは自分で書いたほうがいいよと言ったんです。その気があるんだったら僕も世話をするから、そのほうがいい、そうでないと白井佳夫さんが松江陽一さんと組んで書いた「『トラ・トラ・トラ!』と黒澤明問題ルポ」が真実であるということで残っちゃうよと。もう一つは、英文で書かれ海外でも読まれているドナルド・リチーさんの『黒澤明の映画』という本ですが、ここには黒澤明がハリウッドに口うるさく言われることを嫌ってサボタージュしたんだと書かれていて、この説はものすごく流布している。要するに共通するところは、責任は青柳哲郎にあると。キーパーソンがいたとすればそれは青柳だったんだから、彼が何かおかしなことをやったと書かれた本が流通している。「これでいいの?」って話をしたんですけど、テツちゃんは結局断ってきました。
野上 私もテツちゃんに、あなただって言い分があるでしょう、それを聞かせてよって言ったんですがね。彼は、「だってさ、のんちゃん、黒澤さんのうちに金入れるだけでも大変だよ」と言っていましたよ。
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