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自著を語る

<著者インタビュー>

天安門から遠く離れて


天安門前夜から五輪前夜まで

──前作とはかなり内容も異なって、天安門前夜、中心になる二人の青年が大学に入るところから始まります。いまお話を伺っていると、その主人公の一人の家庭環境が、やはり父親が下放されてずいぶん田舎のほうへやられて、教師をしている。お父様の環境と似ているかもしれないですね。

  たしかに似ているかもしれない。

──二人の青年には、モデルになる人物がいたんですか。

  いません。まったくのフィクションです。

──楊さんは一九八七年に来日されていますが、中国にいらした頃から、天安門事件につながるような民主化への要求とか、自由な空気というのは、育っていたのでしょうか。

  こ私の学生時代には、中国では本屋といえば新華書店しかありませんでした。それがしだいにハルビンでもあちこちに本屋さんが出来たんです。以前は『毛沢東語録』か、マルクス全集ばかりで、何冊かある小説も、革命小説で全部読んでしまったものばかり。ところが、十軒ぐらいに増えた頃、友人の父親が本屋を経営し始めた。そうしたら、見たこともない本や雑誌が、いっぱい入って来た。

──仕入れルートを、新華書店以外に持っていたわけですね。

  そうなんです。それがすごく不思議でね。その友人から「きょうは、こういう本が入ったよ」と聞かされる。すごく羨ましかったんです。お金がないから買えないんだけど。

──それは、開放政策の成果でしょうか。

  いま考えれば、そうだと思いますね。それから少しずつルーマニアや北朝鮮、インドの映画が入ってきた。日本の映画も入ってきて、ものすごく面白かった。

──その頃、ハルビンで日本映画をご覧になりました?

  見ましたよ。無実の罪を着せられた高倉健と中野良子が二人で北海道を逃げ回る。

──文革後封切られた日本映画第一号の『君よ憤怒の河を渉れ』だ。健さんは中国でいちばん有名な日本人俳優ですね。


天安門へ行く

──天安門事件当時はどうされていましたか。たとえばその時点で在日中国人として、なにか我々が知り得ない、別のネットワークから入ってくる情報というのはありましたか?

  私は、五月の二十七日ぐらいに中国に帰ったんです。周りの友人たちは、「帰っちゃだめ、危ないよ」と言う。翌朝帰るという、その前の晩に友人から電話があって、「天安門に軍隊が入る」と。「だから、もう帰っても北京に入れないかもしれない」と言うの。中国人はみんな大袈裟(笑)。中国をよく知っているので、大袈裟に考える。そうすると、私はどうしても帰りたくなるんですよ。

──言われれば言われるほど、帰りたくなる?

  そうです。もう「帰る、帰る」と言って。で、帰りました。そのとき、私はお金もないのにね、すごいでしょ。大学に行くつもりで貯金していたんですけれども、それを全部使って、北京まで飛んだ。友人が空港まで迎えに来てくれました。バスで市内に入るんですけれども、市民が道路沿いにずっと並んでいて。中国人は寝るの早いんですよ(笑)。いつもなら夜の十時、十一時過ぎたら、外にはもう誰もいない。ところが、あの夜はすごく暑かったので、道端にだらしない格好の人たちがダーッと並んでいて(笑)。ある程度走ると停められて、中に兵士が乗っているかどうか市民がチェックする。

──その市民たちは、民主化勢力のほうですか。

  そうなんです。そういう光景を初めて見たので、「わあ、すごいな」と思って。町中が興奮していました。その友人の家に何日か泊めてもらって、ハルビンの実家へ戻りました。だから、六月三日の事件の夜は北京にはいなかったんです。「妹を連れて、北京を見てくるよ」と言ったら、うちの親がすごく反対した。でも「一生に一回あるかないかくらいのことが起きているんだから、絶対行くよ」と。なぜか「大連から山東省に行って、それから北京に寄って戻る」というふうな話になった。

──でも、妹さんは学校はないんですか。

  高校生だったんですけれども、でもどうしたんだろう。多分学校に行っている場合じゃなかった(笑)。そこで、三日に山東省の済南に着いたら、「汽車が間もなく不通になる」というニュースを聞いて、その足で北京に向かったんです。私と妹が乗った汽車は、多分北京へ入れた最後の汽車だと思います。でも、着いたのは四日の朝でした。

──事件後ですか?

  そうですね。すごいね、何でこんなに変わるのかと思うくらい北京の空気がちがった。まず私は妹を連れて、安い小さなホテルに泊まったんですね。毎晩のように警察やら何やらがやって来て、私たち二人を見張っているような感じでした。「勝手に外を出歩いちゃだめよ」とかいう感じで二週間。毎日、屋台のラーメンばかり食べていた(笑)。美味(おい)しかったんですよ。いまでも妹とよく話します。

──そのときの体験が作品にも活かされているわけですね。

  そうですね。私は、天安門事件を経験して日本に来て、日本の民主主義を体験したわけだから、そこにもなにか意味があるのではないかとは思います。少なくとも私が書いたものを、少しでも社会に反映させて、文学作品として生命力を持たせたいという気持ちが強くあります。

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