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自著を語る

車窓から我が家を眺めてみたら
 通勤電車に憧れがあった。
 たんに胸ときめかせる憧れというのではなく、「俺には無理だろうなあ……」という苦笑交じりのため息を頭に付けたほうが似合いそうな、そんな微妙な憧れである。
 高校時代の三年間は、列車通学だった。といっても、週末には観光用のSLが走るようなローカル線だ。単線のディーゼル車。途中の駅ですれ違いのために数分間も停車する路線では、ラッシュアワーの満員電車など味わうべくもない(でも、たまたま乗り合わせた旅行客がいきなり目の前で駅弁を広げたときには、さすがにちょっと悲しかったです)。
 大学時代はキャンパスから徒歩二分の安下宿に住んでいたので、もちろん通学に電車を使うことはなかった。
 大学卒業後にわずか十一ヶ月だけ体験したサラリーマン生活も、まっとうな通勤とはほど遠かった。夜行性かつドンブリ勘定の雑誌編集者は、朝の満員電車に揺られるほど早起きではなく、息せき切って終電に駆け込んで経費節減に貢献するほどの愛社精神もなかったのである。
 会社を辞めたあとも、それは変わらない。いくつかの職に就いてはみたものの、いずれも通勤の真似事にも至らない。というより、職探しの大前提に「満員電車に揺られずにすむ仕事」という条件があったのだから、それはまあ、あたりまえといえばあたりまえの話なのだが……とにかくぼくは通勤電車とは無縁の人生を過ごしてきて、これからもたぶん定期券を持つことはないだろうと思っていて、だからこそ、二日酔いの朝に踏切の音が聞こえてくると、なんとも言いがたいフクザツな気分になってしまうのである。
 このたび一冊の短編集にまとめていただいた『送り火』の出発点も、そこだ。
 毎朝、毎晩、同じ風景を眺めながら我が家と会社とを往復するのは、どんな気分なんだろう――。
 そんな毎日が、五年、十年、二十年と積み重なっていくと、車窓風景はどんなふうに体や心に染み込んでいくんだろう――。
 もしかしたら、自宅のリビングや勤め先のオフィスよりも見慣れているのは、通勤電車から眺める沿線の風景だという、そんなひともたくさんいるんじゃないだろうか――。
 ぼくは三十代の十年間を、東京の某私鉄の終点近くの街で暮らしてきた。
 たまに電車に乗るときには、席に座らず、ドアに寄りかかって、流れる風景をじっと見つめる。なにしろ通勤をしていないものだから、電車に乗ることじたいがワクワクする出来事なのである。
 新宿までは数十キロ、約一時間。「旅」と呼ぶには短すぎるが、車窓の風景は決してのっぺらぼうではない。
 畑の目立つ終点近くから、新宿に向かうにつれて、しだいに家が建て込んできて、ビルが増えてくる。農村の面影を残した街があり、近未来を先取りしたニュータウンがあり、いかにも若い世代の好みそうな街があり、もはや歴史を終えてしまったような街がある。五年前には空き地だった場所にインテリジェンスビルが建つ一方で、華々しくオープンしたデパートが五年後にはずいぶんみすぼらしくなってしまう。
 風景とは歴史なのだ、と気づいた。
 街の歴史と、そこに暮らすひとびとの歴史――それを育んだ鉄道の路線は、ちょっとキザな言い方をすれば、星と星とをつなぐ星座図の点線のようなものかもしれない。
 電車の中に乗客それぞれの暮らしがあり、窓の外にも無数の暮らしがある。
 あたりまえの話なのに、いや、あたりまえだからこそ、気おされてたじろいでしまうような重みがある。通勤という日常からこぼれ落ちてしまったフリーランスの物書きにとっては、特に。
 その重みを噛みしめながら電車に揺られているうちに、一つ、また一つと、ささやかな物語が胸に浮かんできた。どれも、ほんのり苦くて、ちょっと不気味なものになった。それを一つずつ書き留めていったのが、本書である。
 ぼくは大学卒業以来、十回以上の引っ越しをした。移り住んだ家はどれも線路から離れていて、電車の中から我が家を見ることはなかった。
 だが、『送り火』を一冊の本として送り出すいま、ぼくは思うのだ。
 もしも我が家が線路のそばにあって、車窓から眺めることができたなら――。
 ぼくが自分なりの幸せを積み上げてきて、家族とともに一家の歴史を紡いできたつもりの我が家は、走る電車からはどう見えていただろう。
 いまにも崩れ落ちそうなもろい幸せを懸命にとりつくろっている、哀れな男の暮らす家――?
 まさか、ね。
 いや、だけど……。
 そんな怖さが、物語からじわりとにじんでいてくれればいいな、と思う。
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