これから数年後の日本に何が起きるか。それを知りたいとき、必読の文献がある。『日本政府への米国政府の年次改革要望書』という文書をご存知だろうか。通信、エネルギー、金融、流通。さらには医療制度や薬事制度、公正取引委員会と独占禁止法、商法、司法制度改革、構造改革特区、郵貯をふくむ公益法人の民営化政策。個別産業分野から一国の立法、行政、司法に及ぶあらゆる分野に関して、アメリカのなまなましい要求事項が網羅されている。アメリカ政府が毎年公表しているものだが、日本でそれを知る人は少ない。
この文書は一九九三年の宮沢・クリントン両首脳の合意を契機として、翌九四年以来毎年十月に定期的に発行され、今年でちょうど十周年を迎える。それは単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ側の要求項目は、日本の各省庁の担当部局に振り分けて検討され、やがて審議会にかけられ、法改正や制度変更によって着実に実現されてきた。そしてこれらの外圧の成果は、アメリカ通商代表部の『外国貿易障壁報告書』によって毎年三月にアメリカ連邦議会に報告されているのである。これは「制度化された内政干渉」としか言いようのない、異常な事態だ。だがすべてアメリカ側の公式文書で公開されている、まぎれもない事実である。
ここ数年、日本とアメリカとのあいだには通商問題をめぐる摩擦がほとんど聞こえてこない。だから外圧の悪夢はとっくに過去の話と思いこんでいる人が多いだろう。ところがこの内政干渉システムは党派を超えて現在のジョージ・W・ブッシュ政権にも引き継がれ、通商問題とは次元を異にする、より国家の本質にかかわる分野に焦点を移しつつ活用され続けているのである。現に昨年十月にも『年次改革要望書』の最新版が発行されている。アメリカはこの便利な対日圧力のシステムを簡単に手放す気などまったくないのだ。
民主党のクリントン政権はこのシステムを「強化されたイニシアティブ」と称していたが、現ブッシュ政権はそれを「改革イニシアティブ」という、もっと人聞きの良いものに改称した。さらに政府による直接的な外圧の色彩を薄めるためか、両国の財界人も協議に加わる官民合同方式に改められ、ついでに『要望書』の英文タイトルもSubmissionからRecommendationsに変更された。前者は「服従・従順」、後者は「推奨・勧告」と辞書にある。要するに民主党流の威圧的な対日交渉スタイルから、政府の介入を少なくとも表向きは否定してみせる共和党好みの流儀に変更されただけなのだ。
おりしも今年は合衆国大統領選挙の年である。日本では一般的に共和党の方が民主党より日本に対して融和的だという受けとめ方がある。確かに沖縄を返してくれたのはニクソン政権だ。レーガン政権時代は「ロン・ヤス関係」と呼ばれるほど親密だと言われた。現ブッシュ政権の高官は「ショウ・ザ・フラッグ」、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と命ずるたびに「これは日本が自主的に決めることだ」と、日本の面目を粉飾してくれる。しかし歴史を検証してみると、ニクソン・ショックにせよ、プラザ合意や新通商政策にせよ、日米構造協議にせよ、日本という国家の存立の根幹を揺るがすような致命的な戦略を立案してきたのはむしろ歴代共和党政権だったということに気づく。
だからといって民主党の方がましだなどと言いたいのではない。クリントン時代の日米関係はまさに悪夢だった。
しかし民主党はたんに拙速なだけで、そもそもアメリカの国益のためには日本など容赦しないという大方針においては共和党も民主党も大差ないのではないか。民主党が、けたたましく叫びながら闇雲に肉や皮に斬りつけてくるとすれば、むしろ共和党は静かに微笑みながら、うしろから急所を狙って刺そうとする凄味を持っているような気がする。「現在の日米関係は戦後最良」などと陶酔している場合ではないのではないか。
『年次改革要望書』を介して、アメリカ政府がこれまで日本に対してしてきたことは、一貫してアメリカ自身の国益の追求、つまりアメリカの選挙民や圧力団体の利益の拡大、ということに尽きる。そのこと自体に怒りを投げつけてみてもはじまらない。自国の利益を極大化するためにあらゆる国家戦略を駆使するのは為政者の当然の責務である。彼らは定石を打っているに過ぎないのだ。問題は、他国の干渉に迎合してきた結果の利害得失を、自らの国益に照らして歴史的に検証するシステムが我々の側に欠如していることだ。本書を通じて、その必要性を少しでも感じて頂ければ有り難い。 |