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自著を語る

負け犬、他流試合(酒井順子)
 二○○三年の秋に『負け犬の遠吠え』という本を出した時は、まさか自分が負け犬をテーマとして、これほどたくさんの方々と対談をさせていただくことになろうとは、夢にも思っていなかったのでした。
 尾っぽにからまった枯れ枝をひきずりつつとぼとぼ歩く負け犬は、皆さんの「どうにかしてやりたい」という気分を刺激するらしく、あちこちで頭を撫でていただいたり、エサをいただいたり、しつけをつけていただいたりしたのでした。そして、そんな十本の対談を一冊にしたのが、『先達の御意見』なのです。
 もともと私は話すことが得手ではなく、かなり人見知りをする方でもあります。ですから、人生の先達の皆さん――阿川佐和子さん、内田春菊さん、小倉千加子さん、鹿島茂さん、上坂冬子さん、香山リカさん、瀬戸内寂聴さん、田辺聖子さん、林真理子さん、坂東眞砂子さん――とお話をさせていただいても、それは対談というより、ほとんど“稽古をつけていただいている”という状態であった。
 そして私は、皆さんとお話をさせていただきつつ、負け犬の負け犬たる所以から始まり、負け犬の現状から負け犬の未来についてまでも、あらためて思いを馳せることとなったのです。
 この本の中では、四十代から八十代までの先達の皆さんのお話をうかがっているのですが、やはり年代によって、負け犬という存在についての感覚は異なってくるようです。
 四十代の方々とお話をすると、「負け犬が四十代になること」について、楽しみのような恐いような気分が醸成されていったし、五十代の方と話していると、負け犬と勝ち犬の間にある溝が、いずれはならされていくことがわかってくる。
 そして七十代、八十代の方とお話をしていると(そういえば、なぜか六十代の方はいらっしゃいませんでしたが)、そこには確かに、やるべきことをやった方々しか醸し出すことができないのであろう「達観」と言うべき空気が、漂ってくるのです。
 七十〜八十代の方々、つまり上坂冬子さん、田辺聖子さん、瀬戸内寂聴さんは、皆さん私に、
「あなたは負け犬なんかじゃないわよ」
 とおっしゃって下さったのでした。私はそれまで、同世代の人から、
「あなたは色々と本とか書いているのだし、負け犬なんかじゃないわ」
 と言われると、「そりゃー目の前にいる人に対して『あなたは負け犬だ』とは言いづらかろうよ」と思いつつ、「でも世の中では、結婚せず子供も産まずに歳をとっていく女っていうのは、どれほど仕事をしていようと結局、『とはいえ女としては不幸』っていう哀れみの目で見られるものなのだし。『あなたは負け犬なんかじゃない』とかって言われると、ますます負け犬感が増すのよねー」という反発心が湧いたものです。
 しかし、うんと年長のお三方から、
「あなたは負け犬なんかじゃないわよ」
 と言っていただいた時に私は、
「うぇーん、そうなのでしょうかぁ」
 と、思わずその言葉にすがりそうになったのでした。
 おそらくお三方は、人生においてあれやこれやの波を乗り越えてこられた上で、
「人生において価値のあることは、結婚や子供ばかりではない。そして最後になったら、誰もが死ぬということは平等にやってくるのであるし。そうなったらもう、勝ちも負けもないのだ」
 ということを、おっしゃって下さったのだと思います。
 とはいえ私は、すぐさま「人生、勝ち負けではない」という境地に到達することは、できそうにないのです。上坂先生は、
「還暦までは、あれこれ生々しい懊悩に悩まされるけれど、還暦を過ぎたらスッキリするわよ」
 といったことをおっしゃっており、それを聞いた私は、
「かっ、還暦までですかぁ……」
 と、まだまだ長い道程に絶句したものです。が、今の生々しさが急に乾くはずがないであろうことも、片方では理解できる。
 私はまだこれからも当分の間、カチだのマケだのアイだのコイだのといった、生々しい世界の中にどっぷり浸かって、生きていくことでしょう。今、この年齢でこの状態の自分が、
「人生って、勝ち負けじゃないと思うの」
 なんて言うのは、あまりにも嘘臭いのだから。
 しかしもっと人生経験を積んでいけば、
「人生は、勝ち負けじゃないのよ」
 と心の底から言う時がいつかやって来るのだと思うと、それはとても心強いこと。その時になったら、自分よりも年下であっぷあっぷしている人に向かって、そのことを教えてあげられるような人になっていたいものだなぁと、私は全ての対談を終えてから、切に思っているのです。
本の話最新号目次
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