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――新作『杖下に死す』は大塩平八郎の乱を扱った歴史大作ですね。まず、この乱を書いてみようと思われたのは?
北方 徳川幕府は米を基本に据えた支配体制ですね。武士が土地と結びつき、武士の家計は土地からあがる米を換金することで成り立っていた。だから、米の生産と価格が安定しているうちは体制も安泰だった。八代将軍の吉宗はこの体制が揺らいできたのを建て直し、かなりの米まで備蓄して「米将軍」なんて呼ばれた。米の値段がすべてを決するというような状況だったわけです。逆にいうと、この体制が崩れてきたときから幕末が始まるんです。田沼意次(おきつぐ)の時代を経て、商人の活動が活発になるというか、商品経済が発達して、商人が武士に代わって米を握るようになりますよね。困窮した武士は消費者としての資格を失っていく。米はますます経済原理でしか流通しなくなっていって、あるところにはあるけれど、ないところにはないという状態になっていったんです。そういうときに飢饉が起きればどうなるか。米騒動とか、打ち壊しとか、体制を揺るがす動きが頻発するようになった。その中心に位置するのがこの乱ですよね。
――いってみれば幕末を告げる鐘の音のようなもの。
北方 だとすれば、この時期には政治のドラマがたくさんあったはずですよね。でも、政治ドラマというのは常に不透明なもので、何が正しいのか見えにくい。こうもとれる、ああもとれる。訳のわからないうちに、終わってみれば、得したやつが必ずいる、或いは得したグループがいる。それがそもそも政治というものだと思うのですが、そんな中に白黒をしっかり見すえようとする青年たちが入ったらどうなるか。この小説ではそれが書きたかった。
――主人公の光武(みつたけ)利之と大塩格之助。利之は、幕府お庭番村垣家の庶子で剣の達人。そして格之助が大塩平八郎の養子。
北方 政治の世界にどっちが白も黒もない、アドバンテージをきっちりとっているほうが勝ち、というふうな考え方をするのが利之の父親である村垣淡路守であり、間宮林蔵でしょう。非常にわかりやすい不正があり、政治的な意図があり、陰謀がある。ただ、それは誰にも手を出せないという状況があって、その中で「青春とは何なのか」を考えながら生きていく青年ふたりがいる。一人は信じる道に向かって突っ走っていく、一人はそれをなす術(すべ)なく見送ってしまう。残された人間の心に何が残るか。
大塩が問いかけたものの意味
――ふたりの友情が実にいい。それは改めて伺うとして、大塩の乱については書き終えてみていかがでしたか。
北方 政治について、はっきりした白黒はないが、少しはつけられるかもしれないという意識をもっているのが大塩平八郎だったんじゃないか。幕閣が政治資金を得るためにいろいろな不正行為をやっていた。大坂の株仲間と結託して大名相手の無尽をやったりね。それを暴いたからといってどうなるのか。幕閣を入れ換えることは出来ても、政治そのもののあり様は変わらない、幕藩体制がなくならないかぎり世の中は変わらないという読みは、大塩はしていたと思う。
はっきりいって、乱としてはどうということはない。わずか一日で鎮圧されてしまうし、与力町に大砲を撃ったといっても、撃ち返されたとたんに決起軍は散り散りになってしまうんですから。後に残ったのは「大塩焼け」だけ。大坂の街の半分を焼いてしまうんですね。「火事だっ」といって火をつけた。でも、この火をつけたというのは、天明期の打ち壊しと明確に違うところで、実は重要なポイントだと僕は思うんです。
「天明の打ち壊し」では、あれだけ大規模に、江戸の三分の一を完全に打ち壊したというのに、火は一切でなかった。火消しが出動して完全な消火活動をしたからです。それにどさくさ紛れの泥棒もでなかった。米が道に雪のように積もっていても、懐に入れるものは一人もいなかったといいます。つまり非常に統制のとれた政治運動だったんですよ。これは『余燼』という小説で書いたことなんですが、その結果として何が生まれたかというと、なかなか老中になれなかった松平定信が老中職に就いた。やっぱり力のある老中が必要だという流れになったわけで、後から考えると、松平定信を推す勢力が町火消を巻き込んで起こしたものじゃないかと窺(うかが)えるふしがあるんです。つまり政権交代のための運動だった。
大塩平八郎の乱というのは、規模は小さいし統制もとれていなかった。けれど、これは幕府権力を否定する乱だったんです。幕閣内の政権争いではなく、民衆を巻き込んでの動乱だったんです。
これは平安末期の保元・平治の乱の比較と重なるところがあります。要するに「保元の乱」は貴族の代理戦争でした。殿上人(てんじょうびと)が勢力争いをして、それぞれに武士が味方したわけだけれど、実際に戦(いくさ)をしてみて、武士は自分たちの力に気がついた。殿上人といっても戦の場では逃げまどうだけで、たいしたことないじゃないかと知ってしまったわけです。で、次の「平治の乱」では、自分たちで権力を握ろうとした。だから、規模こそ何百人の戦にすぎなかったけれど、武家の世という新しい時代を迎える画期的な戦であったわけです。
――政治史的な重要度が異なるのですね。 |
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