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――この度の『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』は、立花さんがむかし書いた『私のシベリヤ』をベースにしたものとか。
立花 そうなんです。冒頭に『私のシベリヤ』をそのまま復刻して再収録してあります。あれは、初版が一九七〇年で、二千部しか作らず、そのまま絶版となっていたものです。絶版になっても、香月さんがシベリア・シリーズの成り立ちについて、あれだけ詳しく語ったものは他になかったので、その後、あらゆる人がシベリア・シリーズを語るときに、これを引用することで論を立てています。再版の要望が強かったのに、文春はそのまま再版しなかった。
――なんでなんですか。
立花 それはぼくにはわかりません。多分、再版しても商売にならないと思ったんでしょう。初版だって、足を出してたんじゃないかな。造本にも相当気配りして特殊な箱に入れたりしているから、定価も高かったけど、コストも相当かかってます。何年かたってから、同じ値段で作れといっても、ムリだったんじゃないでしょうか。
――あの本は立花さんが書いたといっても、立花さんの名前はどこにも出てきませんね。
立花 あれはゴースト・ライターとしてやった仕事ですから、はじめから名前は出さないという前提でした仕事なんです。あの頃ぼくは匿名の仕事を沢山しています。大学を出て、文春に二年半つとめたあと、大学に戻って勉強してたんですが、大学がいわゆる東大紛争のストライキで閉鎖になってしまったため、もの書き商売に戻って、働いていたときなんです。署名原稿も、無署名原稿もいろいろ書いています。ゴースト・ライターの仕事というのは、文藝春秋という会社の伝統の一環なんです。月刊の「文藝春秋」には、昔からいろんな有名、無名の人の原稿がのっていますが、プロの文筆家以外の原稿は、ほとんどがゴースト・ライターの手になるものです。ゴーストの多くが編集者でして、文春では昔から書けない人は編集者になれない。そもそも入社試験で作文能力が重視されるから、書けない人は社に入れない。なにかことが起きると、すぐ当事者のところに行って、「原稿ください」ではなくて、「話をきかせてください。原稿のまとめはこちらでやります」といえるのが文春の強みです。ぼくは文春時代、月刊文春ではなくて、週刊文春の編集部にいましたが、無署名原稿、他人名義の原稿、いろいろ書いてます。『私のシベリヤ』も、はじめは、香月さんに自分で原稿を書いてもらうつもりで仕事がはじまったのに、さっぱり香月さんの筆がすすまないので、担当編集者がこれはいつもの文春スタイルで、ゴーストをつけてしまおうと思ったのでしょう。そこに、元文春社員で、大学ストで暇そうなのがいたから、こいつに頼もうと思ったのでしょうね。担当編集者とは文春時代からよく知っている仲でしたから。
――香月泰男という絵描きは前から知っていたのですか。
立花 いや、話を受ける前は知りませんでした。しかし、求龍堂の『画集「シベリヤ」』が出て間もない頃でしたから、その画集を見せられて話がはじまったわけです。
――その画集を見てどうでした。
立花 これは面白い絵描きだなと思いました。ぼくは結構絵が好きで、「芸術新潮」を読んだり、評判の展覧会はだいたい見にいくほうでしたから、すぐ興味をひかれました。求龍堂の画集で、香月さんが自作につけている解説を読んで、ははあ、これをもっと掘り下げるようにして話をきいていけばできるなと思いました。
――直接香月さんにお会いしてどうだったんですか。
立花 すぐにコミュニケーションがとれる人だったという記憶があります。なんというかベーシックなところで、価値観が共有されていたというか、言葉が通じあったということです。価値観がズレていると、この仕事はむずかしいんです。話そのものがうまく通じないし、話をきいてその通りまとめたつもりでも、ちがうといわれる。わかってないといわれる。通じあうと、書いているうちに、どんどん感情移入して、自分が書いているのか、相手が書いているのか、自分でもわからないくらいになれる。これはそのケースです。奥さんによくそんなにつづくわねと感心されるほど、毎日えんえんと話を聞いたし、まとめも、一発で通って、直しなしでした。
プルーストに匹敵
――その頃持った香月さんのイメージはその後、変わるところがありましたか。
立花 それは大きく変わりました。ぼくが香月さんのところにうかがったのは六九年で「朕」という絵を描いているときですから、シベリア・シリーズ五十七点のうち、まだ四十一点しか描いていなかったときです。その頃、シベリア・シリーズは「朕」で終わりにするのだと述べておられたので、ぼくはそう信じていたのですが、実際にはそれで終わらず、それから四年かけて、亡くなるまでさらに十六点描き、シリーズは計五十七点になるわけです。ぼくがその全点を見て、シリーズの全貌を知ることができたのは、九五年に、没後二十年の記念展で、全点が展示されてからです。それまで、シリーズ全点を見るチャンスがなかったのです。シリーズ全点を見たときに、ぼくは香月さんの大きさが本当に見えてきたと思いました。それまでのぼくの知っていた香月さんは、香月さんの部分でしかなかったんだと思いました。ぼくが知っていた「朕」以前の香月さんと、「朕」以降の香月さんでは絵描きとしてのスケールが二ランクくらい上にあがったような気がします。「朕」以前にもいい絵は沢山あるけれど、「朕」以後の何点かは、それまでと全く次元のちがう絵を描いているような気がしました。
――シベリアに行って、NHKで「シベリア鎮魂歌」というTV番組を作られたのも九五年でしたね。あれはどういうきっかけで。
立花 NHK山口に香月泰男の大ファンのディレクターがいて、彼がぼくと香月さんの関係を知って、ぼくに香月さんを語らせるNHK山口のローカル番組を二本作ったんです。それが非常に評判がよくて、その拡大版として、シベリアに行って、香月さんの足跡を全部追ってみてはという話になった。その頃ちょうど、ソ連が崩壊して、外国メディアにシベリアが公開され、シベリア抑留問題も取材できるようになった。
――シベリアに行ってみてどうでしたか。
立花 やっぱりきてみないとわからないと思いました。第一にあの寒さです。あの苛酷な環境です。労働現場です。食事や宿舎の実態です。絵を見ただけではわからなかったものが、ほんとに実感をもってわかりました。香月さんの話を聞くだけでわかったつもりになっていたのが、ぜんぜんわかっていなかったと思いました。自分で身を移して追体験することではじめてわかったことが沢山あります。
――今度の本は、そのシベリア取材がベースになっているわけですね。
立花 そうです。あのNHKの番組の背景には六十時間におよぶ取材テープがあります。番組ではその一部しか使えなかったので、そのテープのほか、あの番組のために調べたさまざまな情報を全部もりこんで、放送後に下関市で四時間半に及ぶ大講演会をやったんです。その記録があったんですが、なにしろ長すぎてまとめようがなかった。それを今回やっとまとめたわけです。またこの間にシベリア・シリーズについての研究がいろいろすすんでいたので、そういう情報も可能なかぎりもりこんでいます。シリーズをいろんな角度から分析して、このシリーズから何がいえるのかを徹底的に語りつくした本になっています。
――それで、香月さんについての見方に変化はありましたか。
立花 すごくあります。香月さんとこのシリーズのとてつもない大きさがようやく見えてきたような気がします。これまでシベリア・シリーズは、あまりに歴史の中のファクトとしてのシベリア体験、戦争体験にひきつけて語られすぎて、このシリーズの純粋絵画としてのすごさが十分評価されてこなかったような気がします。ぼくは、この作品は、文学でいえば、プルーストの『失われた時を求めて』のようなすごさをもった作品であると分析しているところがあるんですが、生涯の一コマの体験事実を、あれはいったい何だったのだろうと繰り返し問い返し、何度も記憶のその部分をより深く掘り返していくうちに、ついに、この世界全体、生の全体、時の流れ全体の把握にいたってしまうというような、とてつもない深さを持った作品だと思うんです。このシリーズ全体をトータリティをもって見るという視点を失わなければ、それが見えてきます。 |
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