エッセイ

楽しいゲームでした。みなさんに感謝!

子供の頃から人の真似事が好きだった。特に面白いものを見聞きしたりすると、自分にも同じようなことが出来ないかと考えるのが癖だった。『鉄人28号』や『鉄腕アトム』に影響され、初めてマンガを描いたのは、たぶん小学校の一年か二年の頃だろう。絵を描くのは楽しかったが、フキダシに字を入れるのが苦手だった。

従兄に感化されてギターを始めたのは五年生の時。作詞作曲もやった。ただし、後から聞いてみて、 どの曲も既成曲のパクリだと判明した時にはがっかりした。

中学時代にはイラストにはまった。特に女性の絵を描くのが好きだった。中間試験や期末試験で、すぐにギブアップした時などは、問題用紙の裏にイラストを描くことで時間をつぶした。一度、先生に見つかったことがあったが、「うまいもんやなあ」と感心された。イラストレーターになりたいと本気で考え、美術の先生に相談したこともある。

小説を読むようになったのは高校に上がってからだ。それまでは活字が大の苦手で、国語の成績も悲惨なものだった。二人の姉たちは読書家だったが、ちっとも読みたいとは思わなかった。

だから当時の乱歩賞受賞作『アルキメデスは手を汚さない』を、なぜ読む気になったのか、いまだに謎なのである。しかし幸福な出会いであったことはたしかだろう。この一冊の本をきっかけに、 推理小説を次々に読んでいくことになったのだ。特に松本清張の作品は殆ど読破した。

真似事が好きな私は、やがてはこう考えるようになった。自分にも推理小説が書けないだろうか――。

高校一年の冬から半年かけて、 約三百枚の小説を書き上げた。不思議なことに、あまり苦労した記憶がない。学校の部活(当時陸上部に入っていた)を終え、家に帰ってからコツコツと書いていたら、いつの間にか出来上がっていたという感じだった。その気になれば自分にも小説が書けるんだな、というのがその時の印象だった。

だが作家になりたいと思うことはなかった。むしろその頃は映画作りに興味を持っていた。仲間たちと作った馬鹿映画を文化祭で上映し、 悦に入っていた。スピルバーグが『ジョーズ』で注目されたこともあり、若いクリエイターたちが台頭してくる気配が映画界全体に漂っていたようにも思う。

映画に関する仕事に就きたいという夢は、大学に入ってからも捨てきれなかった。工学部電気工学科という、その方面とは全く関係のない道に進んでいたにもかかわらず、脚本家になるための本を読んだりしていた。しかし結局私が選んだのは、メーカーに就職してエンジニアになるという、誰からも反対されることがなく、世間的にもまっとうに見える道だった。断っておくが妥協したのではない。 子供の頃から機械いじりが好きだった私は、エンジニアになることも夢の一つとして持っていたのだ。

就職して一、二年は無我夢中だった。当然のことながらエンジニアとしても半人前だから、早く一人前にならねば、と焦っていた。だがそんなふうに過ごしながらも、一つの疑いが脳裏から離れなかった。俺の居場所は本当にここなのか、というものだった。

たしかにエンジニアになることも夢の一つではあった。だがそれならば、子供の頃から何度も繰り返したあの「真似事」は何だったのだ。それらに対して何ひとつチャレンジしないまま、一生を終えていいのか。後悔はしないのか。慣れない会社生活から逃避したくてそんなふうに思うだけなのだ、と自分にいい聞かせていたが、「もしほかの夢を追っていたらどうなっていたのだろう」という空想は、日に日に私の心を掴んで離さなくなっていった。

二十四歳の秋、ついに一つの決心を固めた。私の前には一冊の小説誌があった。「小説現代」で、その号には江戸川乱歩賞決定の記事が載っていた。岡嶋二人さんの『焦茶色のパステル』と中津文彦さんの『黄金流砂』が受賞していたが、新受賞者のことなどどうでもよかった。私が知りたかったのは、募集要項だった。いくつかの夢の中から小説家を選んだのには、会社生活を続けながらチャレンジできる、ということが大きかった。趣味で小説を書こうとはまるで思わなかった。書くかぎりはプロを目指す気だった。乱歩賞はプロ作家になるための最短の近道といっても過言ではないことは、素人の私にもわかっていた。

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