佐藤紅緑や山中峯太郎など『少年倶楽部』系の読物を卒業し、大人の読む小説で最初に出会ったのは、昭和十七年、中学一年のとき島田清次郎の『地上』第一部である。統制で店仕舞いする書店の棚に淋しく残っている新潮文庫本を手に取った。巻末の片岡良一による短い解説(二版か三版での追加か)が、一方的な否定の語気に終始しているのに理由もなく反撥し、それほど憎々し気に罵られている作品なら、読んでみようと天邪鬼(あまのじゃく)に傾いた結果である。
朝礼の列に先頭を占める大河平一郎と吉倉和歌子、正面の大きな鏡に映る二人が、にっこり笑(え)みを交わす幼い悦びの件(くだ)りを読んで、色気づいた年齢(とし)の男女であればたちまち心を動かさずにおれようか。今まで読んできた少年読物や薄田泣菫の『茶話(ちゃばなし)』などには決して見られなかった方向で、異性に対する感覚が甘酸っぱく柔らかに刺激される。この絶妙な滑り出しに続くのは、遊廓という艶(なま)めかしい世界の、どんでん返しみたいな裏表の照明であるから堪らない。彗星と謳われるほど大正期屈指のベストセラーとなったのも当然である。
しかし、大正八年の第一部から十一年の第四部へと書き継がれている間、早くも木村毅は『新文藝講話』(大正11年)に、明治期の村上浪六が辿った盛衰を引き合いに、『地上』もまた浪六氏と同じ待遇を受くるに終るかと思う、と記し、また、刊行に踏み切った佐藤義亮でさえ、すこしヘンだぞ(『新潮社四十年』昭和11年)と嫌厭(けんえん)の情を覚えるほど、作者の奇矯な言動が世に伝えられ、その転落は斯界における危惧の通りになった。
それゆえ、以後の文学史や文藝辞典に於ける『地上』の処遇は踏んだり蹴ったり、遂に正面から真剣に取り組む批評は見られない。漸くにして昭和三十二年、第一部の復刊『地上』(新潮社)の解説に、十返肇(とがえりはじめ)が威儀を正すかの如く真剣に立ち向かった。いわく、この地上における人間苦のさまざまな生態を追求しようとする作者の野心は、たしかに理想性の希薄だった当時の文壇では注目に価するものであったに違いない、と。時代の枠組みを見定めての評価であった。 |