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はじめての文学

『忘却の河』にはじまる 池上冬樹(いけがみふゆき、文芸評論家) はじめての文学
 どうして高校一年の終わりに、福永武彦の『忘却の河』(新潮文庫)を手にとったのかわからない。小学五年のときに江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズで小説にめざめ、六年のときにはエラリー・クイーンの『Xの悲劇』(創元推理文庫)を読んでいたから、福永が加田伶太郎名義でミステリを書いていることで親近感を抱いたのかもしれない。あるいは中学のときに集英社のデュエット版世界文学全集を読み始めたので(とくにヘミングウェイの『武器よさらば』に感激した)、今度は日本文学に目を向け始めたのかもしれない。
 ともかく福永の『忘却の河』を読んで圧倒された。家族四人(会社社長の初老男、寝たきりの妻、家事手伝いの長女、大学生の次女)、そして長女と付き合っている美術評論家を加えた五人の内的独白を重ねながら、福永文学らしい愛と孤独と救いを切々と謳いあげている。小説というものがこれほど実験的で(一人称と三人称がさりげなく溶け込み、現在と過去が同時進行する)、これほど多声的で、しかもプロットは精緻で、人生の色合いが濃く、どんな精密なリアリズムをも凌駕するほど豊かで、なおかつ深く心震わせるものであることに、ただただ驚き、そしてラストでは涙がとまらなかった。小説を読んで涙を流すことなど、初めての体験だった。
『忘却の河』のあと福永作品をむさぼるように読んだ。とりわけ「夜の三部作」と『幼年』に惹かれ、やがて新作の『死の島』に深く魅せられた。「小説の方法」に挑戦的でありながら、それでいて少しも飽きさせず、むしろ読者を惹きつけてやまないストーリーテリングの巧さに痺れてしまったのだ。
 そこから怒濤の日本文学渉猟が始まる。福永からフランス文学つながりで辻邦生を読破し、やがて師匠の石川淳にいって打ちのめされ、さらに同じく石川を尊敬する丸谷才一を読んで同郷であることがしみじみと嬉しくなり、そのうち吉行淳之介や安岡章太郎や庄野潤三などの第三の新人たちを渉猟し、やがて同時代の「内向の世代」森内俊雄を発見して(忘れもしない「文學界」昭和四十七年二月号所収「春の往復」だ)、大学で日本文学を専攻することを決めたのである。
 もちろん純文学だけでなく、大学後半では福永武彦のエッセイに出てくる結城昌治を読み、真木探偵三部作にほれ込み、結城昌治が絶賛するロス・マクドナルドを読んで、海外ミステリ、なかんずくハードボイルドへと入れ込むことになる。
 ひるがえってみれば、少年探偵団やクイーンやヘミングウェイがあっても、文学にふれた最初の一冊はやはり『忘却の河』なのである。そこから数珠つなぎにきて、いま僕は文芸評論の仕事をしている。
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