トップ書籍ショールーム80周年記念出版
宮城谷昌光全集

宮城谷昌光 略年譜
昭和二十(一九四五)年
二月四日、愛知県宝飯郡三谷町(現、蒲郡市三谷町)に、宮城谷さだ子の長男として生まれる。誠一と命名
昭和二十一(一九四六)年 一歳
母さだ子、宝飯郡三谷町で旅館「若竹」を開業。「こどもの目に、それは威容としてうつった。玄関のあたりがどうなっていたのか、さっぱりおもいだせない。暗い空虚にすぎない」(「私の生まれた家 若竹の宿」)
昭和二十六(一九五一)年 六歳
四月、蒲郡市立三谷小学校に入学。
昭和三十二(一九五七)年 十二歳
四月、蒲郡市立三谷中学校に入学。
昭和三十五(一九六〇)年 十五歳
四月、愛知県立時習館高等学校に入学。
「高校一年生のときに、司馬遷の『史記』の項羽と劉邦のところを、暗記させられました。暗記しない生徒は、授業中、机の上に座らなきゃならない。ある生徒が、先生に指された瞬間に、机の上に飛び上がってぱっと座ったのをいまだに憶えている」(白川静氏との対談)
昭和三十八(一九六三)年 十八歳
四月、早稲田大学英文科に入学。庄野潤三がクラス担当。
昭和四十二(一九六七)年 二十二歳
三月、同大学を卒業。卒業論文「エドガー・アラン・ポーの世界」。新評社に入社する。
昭和四十三(一九六八)年 二十三歳
三月、同人誌「炎天使」に「春潮」(のちに「春の潮」と改題)を発表。
昭和四十四(一九六九)年 二十四歳
三月、立原正秋のはからいで第七次『早稲田文学』に「天の華園」を発表。
昭和四十六(一九七一)年 二十六歳
同人誌「朱羅」に参加。
昭和四十八(一九七三)年 二十八歳
四月、郷里蒲郡で結婚。家業の土産物屋を手伝う。
昭和五十一(一九七六)年 三十一歳
三月、「朱羅」に「無限花序」を発表。
昭和五十五(一九八〇)年 三十五歳
六月、蒲郡市本町で学習塾を始める。
このころより、古代中国を勉強し始める。
昭和六十三(一九八八)年 四十三歳
六月『王家の風日』、刊行。
「部数はわずかであったが、司馬遼太郎氏から葉書をいただき胸がふるえた」(著者談)
平成二(一九九〇)年 四十五歳
七月『天空の舟』、刊行。
平成三(一九九一)年 四十六歳
二月『侠骨記』、四月『夏姫春秋』、九月『孟夏の太陽』、十二月『春の潮』、刊行。
一月『天空の舟』で、直木賞候補となる。
四月、同作品で第十回新田次郎文学賞受賞。
七月『夏姫春秋』で第百五回直木賞受賞。
「賞とは縁のない男である。二回目で受賞することさえ奇蹟に近い。奇蹟をおこしてくださった選考の先生方は、私にとって神なのである」(「受賞のことば」)
平成四(一九九二)年 四十七歳
四月『花の歳月』、九月『沈黙の王』、刊行。九月「晏子」を連載開始。
平成五(一九九三)年 四十八歳
二月『重耳』、刊行。
三月「孟嘗君」を新聞各紙に連載開始。「神戸新聞」は阪神淡路大震災のため掲載が中断。
「わたしは涙がでてきた。神戸の読者から、まだ夕刊に孟嘗君が再開されませんが、そのあいだ執筆はお休みですか、という便りをもらった。神戸に住んでる人は熱心に孟嘗君を読んでくれていたのである」(「孟嘗君の復活」)
平成六(一九九四)年 四十九歳
十月『晏子』、刊行。
三月『重耳』で第四十四回芸術選奨文部大臣賞受賞。
平成七(一九九五)年 五十歳
六月『介子推』、九月『孟嘗君』刊行。
一月「青雲はるかに」、「楽毅」、連載開始。「楽毅」は後に掲載誌が廃刊し中断
平成八(一九九六)年 五十一歳
五月『長城のかげ』、七月『玉人』刊行。一月「奇貨居くべし」、「太公望」、六月「子産」連載開始。
二月、静岡県引佐郡三ヶ日町に転居。
五月、第四十九回中日文化賞受賞。
平成九(一九九七)年 五十二歳
三月「楽毅」を連載再開。六月『奇貨居くべし』、九月『楽毅』、十一月『青雲はるかに』刊行。
平成十(一九九八)年 五十三歳
五月『太公望』刊行。一月「子産」、十月「華栄の丘」、連載開始。
平成十一(一九九九)年 五十四歳
十二月『クラシック千夜一曲』刊行。
平成十二(二〇〇〇)年 五十五歳
二月『華栄の丘』、十月『子産』、十一月、新装改訂版『夏姫春秋』刊行。
一月、第三回司馬遼太郎賞受賞。
「賞は司馬さんが天国から励ましてくれたのではないかと思います。司馬さんのすべての作品を遺言と思い、毎日読み返しています」(「受賞の言葉」)
七月、直木賞の選考委員となる。
平成十三(二〇〇一)年 五十六歳
一月『無限花序』刊行。
三月『子産』で第三十五回吉川英治文学賞受賞。
五月「三国志」連載開始。
平成十四(二〇〇二)年 五十七歳
四月「風は山河より」、五月「香乱記」連載開始。
十一月『宮城谷昌光全集』全二十一巻、刊行開始。
INDEX
top 特色 巻立 年譜 アルバム 英傑たち